わすれっぽいきみえ

みらいのじぶんにやさしくしてやる

コロナ禍だからこそ映画『12モンキーズ』観直した

12モンキーズ(字幕版)

12モンキーズ(字幕版)

  • 発売日: 2016/03/16
  • メディア: Prime Video

小学生のころに観たことがあったけども、さすがに昔すぎてあらすじしか覚えてなかったので改めて観直した。

あらすじ

2035年、人類は致死性の高いウイルスによって地上に住むことができなくなり、地下に潜って生活することを余儀なくされた。そのウイルスは1997年に何者かの手で世界中にばらまかれ当時50億もの人間が死んだ。

終身刑に服しているジェームズ・コール(ブルース・ウィリス)は1997年にタイムスリップして原初ウイルスを手に入れることで特別に刑務所から出られる(特赦)任務を与えられる。唯一の手掛かりである12モンキーズというキーワードを元に調査を開始する。

難解な映画と評判

未来(2035)と現代(1997)を行ったり来たりし、主人公ジェームズの夢の内容がオーバーラップしたりするので人によっては混乱するだろう。ただ上映当時私の両親が言ってたほどの混乱は今の私にはしなかった。確かに時間を行き来はするし、狂人変人がたくさん出てきて言葉がたまに意味ありげだから観る人を惑わせるが、ストーリー展開自体は比較的素直でだんだんと12モンキーズが一体何なのかわかってくるように作られている。

意味を明らかにされてない象徴的な言葉はいくつかある。12モンキーズそのもの。ジェームズが時々なぜかボブと呼ばれること。預言者のこと。こういうよくわからない言葉の意味を指して難解と思う人もいるかも。12モンキーズはロゴをよく見ると時計になっていたりするので、タイムスリップものであることを暗に指している気がする。欧米の文化や歴史について詳しい人なら、これらの言葉の意味がもう少しわかるかも。私は詳しくないのでわからないが、以下のブログ記事はへぇと思った。

https://ciatr.jp/topics/310724

12モンキーズの世界がまさか現実に近くなるとは思わなかった

普通に考えて「未来はこうなる」と予言する人が突然現れたら頭がおかしい人だと思ってしまうだろう。いくつか一種の予言書というか未来はこうなるみたいなものは普通に本屋でも売ってるけど、その大体が未来の経済とか未来の科学技術とかを話してて私たちの想像のちょっと先程度だから、ある程度予想ができることを書いてる。読者がちょっと驚くことはあっても、むやみに驚くようなことは書いてない。しかしジェームズは想像を圧倒的に超えた未来の現実を現代に伝えるわけで、誰も信じないし気が狂ってると思われても仕方ない。だって1年で50億の人間が死ぬと言われて誰が信じる?

まさかそんな映画のような世界がCOVID-19で2020年にやってくるなんて思いもしなかった。この映画に出てくるほどの死者はまだ出てないけど累計死者数は増えてくわけで、2035年までに何人の人がコロナで死んでしまうんだろう。今から15年先の未来には別のウイルスが流行り、もはや誰もCOVID-19の死者数を気にしない世の中になっていそうだが、『12モンキーズ』の世界のように地下にもぐる日常がくることはあり得ると今の私は思う。私は世界中の人が地下に潜るような生活をするなら次は核戦争が起きた時だと思っていたが、ウイルスで起こることがこんなに現実味を帯びてくるとは想像してなかった。夏でも当たり前のようにマスクをし、人との接触を避ける今の世界は、もうそれに近い。ヨーロッパは再度ロックダウンしてるし、日本も北海道で感染者数が増えてきていて対応に追われている。ロシアでは臨床試験が終わってないワクチンが出た。これから冬になり、すでにいくつかの論文では寒く乾燥する季節だとコロナウイルスによる風邪が流行りやすいと発表されていて、この冬が正念場な気がしている。SFってサイエンス・フィクションの略であくまでも作り話のはずなのに、現実はフィクションより残酷でいつだって想像を超えてくるなと改めて思った。今だからこそ見直すと面白い映画だと思う。

アストル・ピアソラの曲の素晴らしさ

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小学生のときに観たときは全然理解ができなかったし、両親もいまいちよくわからんみたいなことを言ってた気がするが、曲だけはしっかり覚えていた。バンドネオンの奏でるノスタルジックなメロディーは一度聞いたら忘れない。映画の内容以上に曲のインパクトが強くて覚えていた。これだけはもう少し大きくなってからツタヤでわざわざサントラを借りてMDに吹き込んだ。フルが聞けるのは以下。

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大人になって見直すと、この曲と映画のミステリアスな雰囲気がとても合っていて、場面場面で流れる曲とストーリーに引き込まれる。だけど、この曲は冒頭だけでなくちゃんと最後まで流してほしいかも。バンドネオン単体でなくオーケストラで演奏されてるフルバージョンがあり、冒頭から先の切ないメロディーも映画の雰囲気にあってる。

アストル・ピアソラリベルタンゴなら聞いたことあるって人が多そう。

他映画紹介

デモリションマン (字幕版)

デモリションマン (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video

人との接触を極端に避ける世界に関しては『デモリションマン』も思い浮かべた。ちょっと前にTwitterで見かけたけどVRセックスの話が出てくる。今みたいにアーリーアダプターな人たちがVRで遊ぶのとは違い、ヘッドセットも一般的になってあらゆる人がVRで遊ぶことが当たり前になっている。性交渉による性病の感染を極端に恐れるためVRでのセックスが当たり前になっているという世界観だ。体外受精も当たり前になっているため、子どもが欲しい時に直接体を重ねる必要がなくなっている。この話自体は映画のワンシーンでしかないけども、これもそんなに遠くない未来にやってきそうな世界観だ。

ピアノ・レッスン (字幕版)

ピアノ・レッスン (字幕版)

  • 発売日: 2013/12/10
  • メディア: Prime Video

曲が印象的な映画として『ピアノレッスン』が浮かんだ。まぁ『12モンキーズ』とかとは全然話が違うから、この話の流れで見るとぎょっとするかもしれない。こちらは不倫映画。

妊娠から出産後までやってきたこと: はじめての子育て

前回の続き。

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退院してからすぐの生活

退院前に夫に子どもの布団の用意をお願いしていた。なので着いたら用意されてる布団に即寝かせることができる状態でとても助かった。あとお尻の傷が痛いままなので円座を買ってきてもらえていたこともとても助かった。

退院してから最初の3日間は私と夫の二人で子どもの世話をしていた。慣れなくて母乳に加えてミルクを飲ませるのがうまくいかなかった。飲んでる途中で子どもが疲れて寝てしまい飲んでくれない。飲んでる途中で寝そうになったら、こめかみのところをさすったり足をこちょこちょしてみたりして何とか起こすが、お腹がいっぱいになったら寝るのが普通と思ってしまってるので無理に飲ませるのはどうなのかとためらってしまう。でも遠慮しているとやせてしまうのでとにかく無理にでも飲ませるしかなかった。3時間以上寝ることもあった。よく寝てくれること自体はいいんだが、あんまり飲まない時間があると脱水症状におちいるのでおむつ替えをして起こしてから飲ませたりした。

あと一度盛大に吐いたことがあって鼻からも戻して大泣きしたので、こっちも慌てた。赤ちゃんはよく吐くとは聞いてたが、あんまりにも激しいので何か病気なのかと思ってしまった。実際には何ともなかったが、とりあえず私たちも怖いので寝るまでしばらく抱っこしていた。

最初のうちはお風呂をかなり嫌がって、服を脱がせてもお風呂に入れても服を着せても泣いてる状態だった。困ったなーと思うが泣いてしまうものは仕方ない。ただ泣くことはなくがミルクを飲んだら割とすんなり寝てくれた。あと夜はかなり静かに寝てくれることは助かった。

母の手伝い

退院前に緊急事態宣言が解除された。このため年末年始に話していた母が手伝いに来れることになった。

駅の改札のところで待ち合わせて年始ぶりに母に会った。あとで思ったことだが、出産前から来てもらうより、出産後に来てもらって1月手伝ってもらえた方が助かった。結果オーライだった。

家に着いた母がまず最初に何をしたかはもう覚えてないが、とにかく何がどこにあるのかを聞かれた気がする。で、ついてからの最初の1週間は料理と子どもの抱っこを代わってくれた。これがめちゃくちゃ助かった。

自分ではとにかく子どものお世話ちゃんとしないとで必死だった。しかしやっぱり今この記事を書いてて、あの時の体力のなさはすごかったなと思うわけで。上げ膳据え膳の生活で母乳あげる以外はひたすら寝るようにしたら、だいぶ回復した。地元の友人からも「赤ちゃんの世話以外しちゃだめよ」って言われてたが、いまいち理解ができてなかった。今なら確かにちゃんと休めって言える。

とはいえ、母もいつかは帰るわけだし、いつまでも代わってもらうわけにもいかないと思って、2週間目からはできる範囲で料理、洗濯、買い物、掃除をおこなった。動けない時は本当に動けなかった。だいぶ動けるようになったと実感がわいたのは母が来て3週間目に入ったときだった。それでも動けるようになってきたなとは思うものの、長時間は厳しい状態が続いていた。産褥期は安静にしないといけない。

3週目くらいで実家で食べていた料理のいくつかのレシピを教わった。実家に住んでた時から聞けたはずだが、こういうときでもない限りなかなか聞かないものだなと改めて思った。今、家でご飯作るときはたびたびお世話になっている。

出産後の手続きラッシュ

子どもの手当関連と自分の手当関連の書類提出がたくさんあった。特に産後15日以内に提出するものが大変だった。自分が転院したのもあって、わずかだが出産後から退院するまでに日が伸びてしまったため、出せる書類はすべて夫に出すようにお願いした。特に元の産院に一緒にタクシーで向かう際、書類をいくつか持ってきてもらったり母子手帳を預けて役所に行ってもらったりした。私が入院している間に必要書類をすべてもらえるよう病院側にも改めて伝えたりした。病院も慣れてるようで、すごく準備がよかった。子どもの健康保険証の申請は扶養に入れる側の会社に申請が必要になる。この保険証が必要なものを15日以内に用意するような手続きもあって焦ったが、さすがにそこはちゃんと言えば自治体が待ってくれることになっていた。15日は意外と長く感じたが、たぶんそれは私の体の体力がないのと子どもの世話がはじめてで日が長く感じただけだと思う。

元々提出予定の書類にくわえて予期せぬ入院が発生したことにより、入っていた医療保険の申請もおこなった。保険会社の手続きも割とスムーズにいったが、産褥期のうちから病院に行って診断書の申請をしないといけないのは体力的にきつかった。診断書をこれまで申請したことがなかったので、発行にお金がかかることも数週間かかることがあることも知らなかったから、もう一度病院に行かなければならなかったのが大変だった。特に転院先の病院は自宅から結構遠かった。行きはタクシーで行ったが、帰りはバスに乗ってみた。すると時間もかかるし、揺れでやはりお尻が痛くてずっと腰を浮かせていた。

通院時も母がいたことで大変助けられた。夫は家にいるとはいえリモートワークで仕事中なので、なかなか手が離しづらい時もあった。そんな時に専属で子どもを見ようと思えば見てくれる人がいるのは外出の助けになる。一緒に行くとなると新生児を抱えてになるので、どうしても家で一緒に待ってる人がほしかった。

子どものお披露目

入院中は面会が一切できなかったので、義両親にも退院から1週間でようやく子どもを会わせることができた。首がすわってない赤ちゃんの抱っこがかなり久しぶりなのでこわごわ抱っこしていたが何とかなってよかった。お洋服もいくらかプレゼントしてもらえたので、今もたくさん着せ替えている。

産後の体の変化

産後の体の変化はすごく激しかった。あっという間にお腹はへこみ、母乳が当然のように出るようになった。あんなに膨らんでたお腹が1週間程度ですぐしぼむのも驚異的だが、母乳が飲ませられる程度に出てくること、赤ちゃんの泣き声を聞いただけで胸が張ってジンジン痛くなりしみ出すのは大変な変化だった。成長する以外での変化はもう20年ぶりくらいなわけで、自分のことながら女性の体はすごいなと思った。妊娠中に入らなくなったズボンは確か10日くらいで、もう履けるようになっていた。

しかし出産後の傷口はそういった変化とは別で、医者からも全治3ヶ月と思ってほしいと言われた。トイレがつらくて、若干痛いのを我慢しながら行かなくちゃいけなかった。血腫は幸い肥大化せず、輸血や手術をしなくてよかった。貧血も点滴のために月に2、3回通う程度で済んで、家ではとにかくプルーンを食べていた。体の痛み自体は大体2カ月程度は続いた。

父は会えてない

母には1月手伝ってもらった。ベビーカーでお出かけする練習にも付き合ってもらって私たちはとても助かった。母としては久しぶりの赤ちゃんの世話で楽しかったらしく、また引越し後の家で無理なく過ごせてよかった。実家とは勝手が違うわけで、母の側がストレスためるかもと思ってたが、杞憂だった。

しかし母が帰るとき、関東まで父が子どもに会いに来ようと有給を取る予定だったのがコロナの感染者急増を見て見送ることになったのはとても残念だった。年齢的に感染すると重症化しやすいのもあり、無理に来て病気になるのは嫌だからと父から連絡があった。

私たちが会いに行くのも今じゃない感じがして産まれたばかりの子どもをなかなか会わせられない。今年の冬になるとインフルエンザの話も出てくるので、今年いっぱい厳しいのではと思っているが、じゃあ来年のいつになれば落ち着くのか?これがわからない。

子どもの成長

最初こそ体重が増えなくて悩んだりもしたが、1カ月検診までには順調に増えてすっかりフクフクの体になった。赤ちゃんがはじめからフクフクしてるわけではないことを産まれるまでわかってなかった。

最初は追加していたミルクはそのうち母乳だけで間に合うようになったので飲む機会がめっきり減った。そのせいかお風呂からあがってすぐ湯冷ましを飲ませようとすると哺乳瓶自体を嫌がるようになった。おむつ替えだけは今でも嫌いで、ウンチをした後だったらおとなしいがおしっこだけの時はなぜかベッドに寝かせて足元のボタンをはずすだけでギャン泣きになる。

産まれたばかりのときは表情もそんなになくて、目も開いてはいるが焦点が定まってない感じだった。しかし徐々にぼんやりと見えるようになってきたのかおおざっぱに目で追いかけるようになってきて、1月くらいでたまににっこり笑うようになり、今はかなり明確に目でものを追いかけられるようになった。音のなる方を目で追って、何から音が出てるのか確認している様子も見られる。あーとかうーとかの喃語(なんご)という赤ちゃんが発する言葉も親がいたらニコニコしながら一生懸命に話すし、嫌だと思ったときとうれしい時とでしゃべり方を変えている。

夜は本当によく寝るし、最初は嫌がったお風呂も今じゃすっかりおとなしく入っている。沐浴用に買ったベビーバスがすぐに小さくなってしまって驚いた。今もまだ入るが足で蹴って遊んでいる。

いつか自分が子どもを持つことになったら、子どもの成長を観察して面白がるんだろうなと思ってたが、やはりその通りになった。

出産祝いでお洋服をたくさんもらったが産まれたばかりなのとコロナで外出を自粛してるのとで着ていく機会がない。仕方ないので家で着せていろいろ写真を撮っている。撮った写真は両親とも共有しており、そこで会えない分を何とか補おうとしている。

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もらったお洋服を着せた様子。よく寝てる。

子育ては続く

子育てはまだまだこれからだ。この間は保育園見学にも行った。コロナ禍の中なので見学可能とした保育園の数は少ないが、以前見繕ったリストの中の一部が見学OKだったので密に気を付けつつ見学に行った。見学だけで行けると決まったわけじゃないけども、どんな雰囲気なのかは知れてよかった。

これからもまだいろいろあるだろうが、書ける範囲で書いていければいいなと思う。

妊娠から出産後までやってきたこと: 出産と入院生活

前回の続き。

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破水して入院

出産予定日を2日ほど過ぎた日に、昼寝してる途中で寝返りを打ったら急にお腹の中でパンと何かが割れる感触があった。全然痛みはなかったものの静かにチョロチョロと水が流れて、自分の力では止められず明らかに尿とは違った。慌ててトイレで色を確認してみると薄い乳白色だった。

早々に病院に電話して破水かもしれないことを伝えた。初回は勘違いのこともあるので少し様子を見て、何かおかしい感覚やどうしても水が止まらなければ晩御飯を食べたあと入院準備の道具を持って病院に来るように言われた。大体1時間くらい家で安静にしていた。水の流れが止まらなかったので再度病院に電話して入院することになった。人によっては破水と同時に出血することがあるらしく、出血が伴う場合は救急車を呼んでいい。私は本当に水だけで痛みはなかったので、前もって準備していた陣痛タクシーに電話して来てもらった。コロナ禍の中でも陣痛タクシーは何とか止まらずに済んだ。

夫もリモートワークだったので、破水したこととご飯を食べてから入院の話を家ですぐ伝えた。少し慌ててたがカレーうどんを作ってくれた。カレーの汁が服についたら面倒くさいことになるな、匂いも結構あるしと今さら思ったが、当時はそこまで気が回らなかった。おいしかったし満足してゆったりした気持ちで病院に向かった。コロナ禍で夫は病院まで行っても中には入れない。到着後は私一人で入院道具だけ持って病院前で別れた。

病院に到着するとさっそく検査をおこなった。助産師さんが確認して即「これは破水ですね。じゃあ分娩台近くのベッドに移りましょう。」と言われ、そこまで自分で歩いた。この時点でも特に痛みはなかった。午後6時ごろだったと思う。晩御飯はすでに食べているし、とりあえず横になっていた。もし陣痛が来なかったら次の日以降陣痛促進剤を使って陣痛を起こして出産すると話された。

9時過ぎから横向きで寝てると10分おきにお腹が張る感じがした。痛みはさほどないため陣痛なのかどうかがわからない。個人差が大きいらしく、何とも言えない。上を向くと痛みが和らぐので、ゆっくり上を向いた。横向きになれと助産師さんに言われていたため、やっていいことかもわからない。痛みがちょっとマシになったら、また横向きになったりした。10時くらいからいよいよ痛くなってきたが途中トイレに行くため目を覚ましベッドに戻って左を向いて寝るともう痛みは収まった。そのまま翌朝7時前まで眠ってしまった。

陣痛と出産

翌日、朝ごはんと昼ごはんは普通に食べられた。時々助産師さんに様子を見に来られるものの何事もなくトイレにも普通に行けた。しかし13:20ごろから陣痛らしき痛みを感じ始める。前の日の痛みの出方と似てたので、本格的に来た予感がした。そのうちだんだんと頻度と痛みが波のようにやってきて、聞いた通りの感じになる。

最初の陣痛は生理痛と似ており、息の吐き方を工夫すれば普通に過ごせる。10分おきなので、まだ比較的動ける。痛いがトイレに行くくらいは余裕。5分おきにくる陣痛もまだ生理痛レベル。元々の生理痛が重めだったこともあって痛いが耐えられる。ただし、このあたりからちょっと声をふぅーとかはぁーとか言わないと余計な力が入りそうになる。

メガネを床に落としたとき思わずナースコールしたが自分で拾うように言われた。考えてみれば一番頻度が近い陣痛で分娩室まで自力で歩くことになってたので、このくらい取れないとまずい。

1、2分間隔になると、もうしっかり声を出さないと耐えられなかった。最後の陣痛のときはあ゛ぁ゛ーと叫んでた。それでもお腹に力を入れると赤ちゃんが産道を通りにくくなると聞いていたので、なるべく力を抜くために違うところで力を出すイメージでいた。

助産師さんがお尻を押さえてくれたんだけど、私の場合は逆に辛かったのでやめてもらった。押さえててもらってたほうが赤ちゃんが変なタイミングで出ようとしなくなるのでよかったかもしれないが、ちょっとどっちがいいかわからない。背中をさすってもらうのもなぜかつらかった。多くの人は楽になるらしい。でも息の吐き方を声に出して言ってもらうのは助かった。

陣痛は陣痛室でおこなうが、頻度が高まってきたら助産師さんが「じゃあそろそろ旦那さん呼びますね」と夫に連絡してくれた。「動ける今のうちに分娩台に向かいましょうか」と言われ陣痛の少しの休憩時間に2、3mの距離を歩いて台によじ登る。あんだけ痛いのに、動けてしまうのが不思議だった。夫が来るまでの間は分娩台に横になっていた。横になったままタオルを握りしめて顔にかぶせながらお゛お゛ぉとかあ゛あ゛ぁとか出したことのない声で叫んでいた。その途中で夫が来て、来てくれたのは気配で察したけど挨拶どころの騒ぎではなかった。分娩台にあがったら「いきんでみていい」と言われたのでいきむ練習をした。

お腹に取り付けていた機械の針を助産師さんとお医者さんが見て、そのうち「今いきんで」とタイミングを教えてもらった。が、必死すぎてよく覚えてない。いわゆるラマーズ法のヒーヒーフーではなかった。いきんでる最中、助産師さんがお腹の上に乗りかかって押さえつけて赤ちゃんを外に出そうとしていたが、全然痛くない。おお、なんかすごいぞって思って見ていた。途中いきむタイミングを間違ったらしく早すぎとか叱られながらいきんでいた。

なかなかうまく出てきてくれなかったので、会陰切開と鉗子を使った吸出法を使うことになった。もうこの辺になると痛いが痛みをあまり感じない謎の境地だった。なんというか痛いことは痛いが、だからって動けないことはないし意識ははっきりしてるという。私は頭の中がいたって冷静だった。しばらくして「頭がもう出てるから」って声をかけられるけど実感がなくて「え、そうなの?」とぼんやりしながら覗き込む。確かに一瞬頭が見えて、もうここまで来てるのかと思った。早く出てこいって気持ちしかなかった。最後のいきみでズルンと出てきて、ちょっとしたら泣き声が聞こえた。私も感動で泣くかと思ったのに「ふー、やっと出たかー」くらいの感じだった。必死ではあるけど、どこかフワフワしてた。ここまでで約5時間の出産だった。初産だと平均10時間ほどかかるらしいので、超スピード出産だった。結構自分では声を上げてたつもりだったのに、その場にいた人全員から「びっくりするほど冷静だった」とも言われた。

夫、私とも産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこした。夫は確かにそばにいたが、いまいち印象が薄い。必死だったからだろうか。どっちが先に抱っこしたかで揉めるってレポ漫画も見たことがあったが、私からするともうどっちでもいいし、とにかく無事に産まれてくれって気持ちしかなかった。

出産後、元気に泣いてた赤ちゃんは割とすぐに泣き止んで寝始めた。大物だなぁと思いながら分娩台でしばらく休んでいた。なかなか最後で出てこれなかったのはへその緒が長くて足に巻き付いていたからだと聞かされた。巻き付いている場所が首ではなくてよかった。また出産時に一緒に出てきた胎盤と破水時の穴を見せてもらった。出産直前まで自分の内臓の一部としてお腹の中にあったものなのでだいぶグロいが、あとになってちょっとだけ写真がほしいと思った。自分の胎盤を見ることなどそんなないから。

深夜に転院

会陰切開の患部を縫うため尿道カテーテルが取り付けられ、しばらく縫い終わるのを待っていた。しかしその際に「あー思ったより裂けている」と聞かされた。会陰切開は裂け目が大きくなりすぎたりギザギザの裂け方にならないようにするためのものだが、私の傷口は子宮口の内側の通常より深いところまで裂けてしまっているとのことだった。糸で縫われたあと「場合によっては出血が止まらず、もしくは他の理由で転院の恐れがある」と夫も同席のもと聞かされた。とはいえコロナウイルスの関係で夫も長居できず、話だけ聞かされて後は帰ることになった。念のため、と貧血対策の点滴を打たれた。心電図もとってた。

縫合直後は大丈夫だったのだが麻酔が切れてしばらくすると激痛で入院予定の部屋に自分で行くことができなかった。はじめて痛くて震えた。自分の反応に自分でも大げさじゃないか?と思った。でもどうしようもなくて横向きになってうずくまってしまった。結局、何度か部屋に行こうとしたが無理だったのとどうにも痛みがおさまらなかったために総合病院に救急車で運ばれることになった。夫には病院から電話してもらって、転院先の病院で直接合流することになった。

救急車で運ばれるのもうまれてはじめてだった。救急車の中で何かいろいろ取り付けられた。ピッピッと心電図のモニターの音が聞こえてきた。意識はあるがしゃべることができない。結構ぼんやりしてた。そのうち「バイタルが下がってる。」って聞こえてきて、えっ何かヤバいのかなと思いはするけどしゃべれない。このときはどこの病院に連れて行かれるのかもよくわからないで、ただ運ばれた。

着いたら両腕に点滴がつけられていよいよ注射跡だらけになった。その状態で採血もされる。いろんなことを話しかけられるけど、いまいち覚えてない。着いてしばらく経つとしゃべれたけど、意識はぼんやりしたままなので問いかけに応答はしたけど何て返したかがわからない。CTで体内のどこに血溜まりができてるか見ると言われて造影剤を入れられた。造影剤使用のためサインしたけど、どんなことが書かれてたのかもはや覚えてない。その後、夫は病院に来てたらしいが手違いですぐに家に帰ってしまった。顔は見た気がするけどうろ覚えだ。

撮影が終わって病室に連れて行かれた。救急車用のベッドから病室のベッドに自分で移れるか聞かれたができなかったので抱えて移してもらった。そのまま気がつくと朝になっていた。

転院した先での生活

目が覚めると両腕に点滴を打つ用の針が刺さったままだった。左側は点滴で薬が流し込まれて右側は点滴袋は外れてた気がする。知らない天井を見て、ここはどこだろうとようやく思った。病院の名前もわからなかった。しばらくすると看護師さんが来て尿道カテーテルの先に溜まった袋を交換してくれた。尿道カテーテルもつけたままだったことに気づいてなかった。

患部はやはり痛かった。出産後、尾てい骨が痛いと感じていたので寝てるのも割とつらい。でも産後直後よりマシだった。横向きになるには少しだけ腕に力をいれないといけなくて、両腕の点滴を打った状態だと力を入れすぎると逆流する恐れから難しいなと思いながら何とかちょっと横を向いた。実際に手首につけられた点滴の管を見ると少し血が逆流していた。薬を流し込んでない間はそういうこともある。ベッドにリモコンがついてたので、後でボタンを操作して体を起こした。

朝ごはんが自分の席に届いて、痛み止めの薬が処方された。そこで再び看護師さんがやってきて診察するから後で支えるから一緒に行こうと言われた。また両腕に注射針が刺さったままだったので、足の甲から採血されたりと満身創痍だった。腕も手首、手の甲、ひじの裏と何本注射を打たれたかわからない。

食べ終わったあと何とか体を起こして点滴袋のついた棒をカラカラ押しながら診察室に向かった。小児喘息で入院して点滴したとき以来だった。股がとにかく痛いので自然とペンギンのような歩き方になった。診察室に向かう途中で、いくつか何がどこにあるのか教えてもらいつつ「すみません。ここはどこですか?」と質問した。そんな質問をすることになると思ってなかった。

診察室に入って患部を診てもらうとお医者さんと看護師さんの両方ともが顔をしかめていた。またCTの結果、血腫という血の塊ができていることも教えてもらった。血腫はあんまり大きくなると周りの毛細血管を圧迫して血が通わなくなり貧血になったり破裂したり危険な状態になることがあると言われた。たいていはかさぶたのように自然となくなるので、ひとまず様子を見ることになった。血腫の圧迫でしばらく痛みは続くだろうことも言われた。

その後、シャワーの浴び方なども教わった。出産後次の日にはシャワー浴びていいことに驚いたが、ちょっと体が気持ち悪く感じていたのと何となく痛みはすぐになくならないことはわかっていたのでシャワーの浴び方に慣れる必要があった。

「まだ点滴の器具を取り付けたままなのでシャワーを浴びる際は袋をかぶせてもらってください」

と言われた。とはいえこの日はシャワーは浴びず看護師さんが拭いてくれることになった。体がうまく動かせない人が看護師さんに体を拭いてもらうのは映画やドラマでなら見たことがあったけど、自分が拭いてもらうことになるとは思わなかった。もう少し抵抗感あるかと思ったが自分で動けないんじゃどうしようもなかったし、むしろ助かったと思った。

病室に戻るときにスポイトのような注射器を渡されて、同時に母乳をそれでとっておく方法を教わった。子どものいる病院にはもしかすると1週間くらい戻れないかもしれないと言われてとても焦った。ここでとっておいた母乳はあとで子どもに飲ませることができると言われたので必死に絞った。今思うと子どもに飲ませるための母乳を絞るのも当然はじめてなのに、全く躊躇がなかった。母性とか母親の自覚とかそういうのはいつ沸くんだろうかと出産前は思ってたけど、そんなことより「これを飲ませなければ子どもが死ぬ」と考えてた。また完全回復してなかろうと早く戻らなければならないと思った。

最初の診察の翌日、だいぶマシにはなっていたが円座でないと座るのは厳しかった。昨日と同じ時間に診察と言われ、再び診察室に向かったが歩くときにペンギン歩きにならないように気を遣った。普通に歩けるように早くなりたかったからだった。

診察室で患部を再び見てもらったところ腫れがだいぶ引いてたらしく特に看護師さんが

「よかったわぁ。昨日もあなたの診察のときに私いたんだけど、本当にひどい腫れだったから。」

と言った。

「私は患部を見れないのでわからないんですが…。」

「見ない方がいいわよ。」

そんなにか、と思って気になるけど見ないことにした。頑張れば鏡とかで見れたろうが見てもなんの得もない。

シャワーの前に点滴針のついた腕をビニール袋で巻いてもらう際、座っていいですよと言われたけど立ってたほうが楽なのでこのままでと言って巻いてもらった。シャワーは痛くなかったが片手で対応しないといけなかったので難しかった。

退院まで1週間かかると言われたことがまだ頭に残っていて、すごく焦っていた。また夫から家族へも連絡がいってるはずだが、心配をあまりかけすぎないようにしたいとも思っていた。とはいえ、当時の状況を知る人にやたら連絡してしまうと何で安静にしないんだとも言われそう。それで地元の友人にすきを見て連絡して、赤ちゃんも元気なことを伝えて一旦自分の気持ちを落ち着かせることにした。

元の産院に戻る

さらに次の日の診察には初日、二日目とは違う人が担当医師としてやってきた。

「今日もし患部の腫れがだいぶひいてたら元の産院に帰りましょう。子どもさんもいるし早く帰りたいですよね?」

1週間と聞いていたのに思ったより早く帰れそうだった。即答してその日の診察で問題なければ昼過ぎに元の産院に帰れることになった。その際には夫が一度今いる病院まで迎えに来てもらって産院に戻ることになったので、夫にも連絡した。

「元の産院の受け入れ態勢が整ってるかはわからないので、こちらから連絡しておきます。準備が整っていたら戻る準備をしてください。」

そういう話が出ると急に余裕が出てきた。入院していた部屋は他にも入院患者がいて、みな妊婦さんだった。入院中ヒマだからかNintendo Switchを持ってきてる人もいたし、隣は双子を身ごもっていて陣痛が来るのをひたすら待ってる様子だった。周りにどんな人がいるのかに気を払ったのはこのときだけだった。

緊急転院で行った先の病院での診察で問題ないと言われて、元の産院も受け入れOKとのことだったので早速準備した。といっても転院した先で自分の荷物を全部広げるなんてことはしてなかったわけで、ちょっと片付ければあとは円座で待つだけとなった。

夫から病院の待合スペースに着いたと連絡があったので向かうと総合病院というだけあってとても広い大きな待合スペースに出た。空港のチケット見せるところみたいな受付もあって、ずいぶん大事になったんだなと実感した。入院費も自動精算機がおいてあって、そこで支払いになった。

夫はここまでバスで来たらしいが、とてもバスに揺られて行けるお尻の状況じゃなかった。高くつくがタクシーに乗って産院まで直接向かってもらった。タクシーの中で救急車で運び込まれたときや入院中どうだったかしゃべてたと思うが、今思うと落ち着きがなかった。

はじめて赤ちゃんと二人で過ごす生活と退院

元の産院に戻ったら院長先生と会って

「いやーおかえりー!どうなることかと思ったよー。」

と言われた。確かにどうなることかと私も思ったので、ちょっと安心した。でもまだ患部は痛いので、お尻を微妙に浮かしながらでないと座るのも難しかった。

病院に着いてすぐ授乳室に通された。前に絞っておいた母乳を助産師さんに渡して赤ちゃんが飲めるようにしてもらった。ほかのママさんたちも授乳していて赤ちゃんは習ったわけでもないのにごくごく飲んでいた。私もそこで飲ませ方を習った。当然はじめてなわけで赤ちゃんの頭の支え方、体の持ち方を教わってもすぐにはうまくいかなかった。周りが経産婦*1さんばかりだったので、自分だけうまくいかないことに若干焦る。あとブラジャーに母乳が染み出してしまっていて慌てて試供品でもらっていた母乳パッドを挟んだ。

「どのくらい出やすいかはその時にならないとわからないからね。」

助産師さんには言われた。よくあることらしい。でもまだ量がたくさん出るわけではなかったので、母乳を20分ほど上げた後はミルクを追加した。前の病院から持ってきた母乳もミルクに混ぜておいて飲ませ切った。

「あなたの子はものすごくよく飲むよ。」

と言われ出産日からミルクを飲ませた履歴を見せてもらった。私が入院している間にこれだけやってもらっていたのかと思って見ていた。おむつの替え方もその場で習って、以降は基本的に全部私がやることとなった。

夕方ごろ入院部屋に赤ちゃんを乗せた小さめのベッドと一緒に入って、ようやくはじめて二人で過ごす時間ができた。もっと泣くかと思っていたが思っていたよりは泣かない。何なら寝すぎて全然目を覚まさないので、私が長くても3時間おきくらいでおむつ替えで起こして授乳させるくらいだった。このとき本当は粉ミルクも飲ませるべきだったが、助産師さんの説明をいまいち理解できてなくて母乳だけ飲ませて赤ちゃんが安心して寝たらそれでいいと思い込んでいた。当時の私の母乳の量はまだ少なかったので母乳だけだと体重が平均より増えてなかった。結果、退院当日は退院できるぎりぎりの体重になってしまった。これは本当に申し訳なかった。ものすごくよく飲むと伝えられてた子だったので、助産師さんが作ってくれたミルクを寝そうになっても無理やり飲ませるくらいでちょうどよかったのだった。

赤ちゃんがいる部屋でのご飯は難しかった。ご飯を食べるときに限って泣くので何とかあやしたり母乳を飲ませたりするが、うまく泣き止んでくれずご飯を食べることができなかった。すると病院食を作ってくれるスタッフのシフトを超えるとかで早く食べるように連絡がくる。泣き止まないので困ってることを伝えると

「じゃあもう泣かせたまま食べましょう。」

と言われた。ああ、これは別に病院だけの話じゃなくて、家に帰ってからも泣かせたまま食べることがあるんだろうなと思った。むしろ自分でご飯を作らなくていい今のうちにそういう環境でも図太くご飯食べるくらい練習しておかないといけないとわかった。抱っこしたまま食べようかと思ったりもしたが、まだ抱っこにも慣れてないので食べながら抱っこはかえって危険だった。まぁでもこの産院の病院食はめちゃくちゃおいしかったので赤ちゃんが泣いてても「ごめん!これがあなたの栄養にもなるから今食べないと損なの!」と言ってもりもり食べてた。

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ある日のご飯。ありがたい。

出産当日の夜だけは赤ちゃんを助産師さんが引き取って面倒を見て、翌日の夜から私と赤ちゃんで夜を過ごすことになっていた。また沐浴指導や粉ミルク作成の方法、新生児検診、産後検診もあるので元の産院には4日ほど入院していた。その4日間は本当にあっという間過ぎて気が付くと退院の日になっていた。

妊婦検診では重度の貧血のため1カ月処方された錠剤をのみ続けること、定期的に点滴を打ちに来ること、赤ちゃんの体重が思ったより増えてなかったので体重を計りにくることが退院時に言われたことだった。赤ちゃんを抱えたまま歩いて産院まで通える気がしなかったので、しばらくタクシーで通うしかなかった。だが、何とか退院はできた。

産後の方が個人的にはしんどかった

出産までは結構スムーズだったので、個人的には産後に転院や貧血、赤ちゃんの低体重で困るとは思ってなかった。いかにもここからが本当の本番といった感じになった。

妊娠から出産後までやってきたことで書こうと思ってたことは次で終わり。もちろん生活は続くのでブログ記事のように終わりはないが、記事としては一旦ここで閉めようと思う。

*1:2人目以降を出産した人

妊娠から出産後までやってきたこと: 妊娠後期と出産準備

前回はCOVID-19の影響が出始めたところまでだった。

kimikimi714.com

ここからは出産準備と妊娠後期の話を書く。

2度目の母親学級

1度目の母親学級は妊婦のみだが2度目は夫の立ち合い出産の条件になっていたので夫も出席した。本当に立ち合い出産するかどうかはさておき、受けておかないと立ち合いはさせられないと聞いていた。今回は私たちともう1夫婦しか来てなかった。産婦人科から事前に電話が来ていて開始時間と終了時間がどちらも早まっていた。かつ人数をできるだけ減らすと。この日行くはずだった院内の入院部屋の見学は中止になり、1回目とは違ってだいぶ物々しい雰囲気になっていた。「院内見学を完全に中止したわけではなくて、一度にたくさんの人が入るのを避けたいだけなので、後日奥様だけ妊婦検診で来た帰りにいらしてください。」と言われた。

内容自体は講義形式で「お父さんも赤ちゃんがどんなふうに生まれてくるのか知っておいてくださいね。」というもの。ただ夫には若干刺激が強かったらしく女性ホルモンの影響で骨盤の骨が緩む話や赤ちゃんが産まれるときに自分の頭蓋骨を折りたたんで狭い道を通るのを頑張る話など、人体の不思議展みたいなことを聞かされて顔が固まってたのが面白かった。

帰りはいっぱい試供品を渡されて、また持って帰るのが大変だった。中身を見ながら「あーいろいろ入院、出産の準備しなきゃねー。」と話した。

おっぱいマッサージ再び

通常の妊婦検診とは別に助産師さんからおっぱいマッサージの仕方を直接教わる機会があった。結局最初の母親学級で教わって以来やれてなかったので、直接やり方教われるなら助かると思った。

この時には病院のあちこちのドアが開け放たれてできるだけ密にならないようにしてあった。カーテンはかかっているが短めののれんのようなものが少しかかってるくらいになっていたので、パンツを脱がないといけないところだけはしっかり隠して、それ以外はかなり風通しをよくするように工夫されていた。女性しか入室できないように制限も強くなっていた。

「ごめんなさいね。マッサージの練習のためにどうしても胸を出してもらう必要があるので、とりあえずドアに背を向けて練習しましょう。コロナウイルスの件でドアを閉めるわけにもいかないから、ちょっと我慢してもらいたいの。」と言われた。マッサージを習う部屋は短めののれんしかなかった。感染する方が嫌だし、マッサージ自体は必要なことと理解してたので言うとおりにした。

マッサージの前に乳首の形とかを確認された。「まぁ形は普通だね。ちょっと小さいから、赤ちゃんがくわえづらいかもしれないな。この硬さのままだと赤ちゃんが母乳を飲むときに乳首があかぎれみたいに切れて激痛の中母乳をあげないといけなくなるかもしれないから、今のうちからマッサージして出やすくやわらかくしておきましょう。赤ちゃん自身の吸う力が足りないと強くかんでしまって余計痛い思いをしてしまうの。飲ませたいのに痛くて飲ませられないと乳腺炎になったりもするから準備しておかないと大変なことになる。」と言われた。その上ではじめてマッサージしたがやっぱりめっちゃ痛かった。しかも結構な力でつまむ。思いっきりねじるので必要なこととわかってても結構嫌だった。ちゃんと教えるために助産師さんがいるわけだけど違う人だったら絶対にブチ切れる。家族が相手でもまず間違いなく怒る。もし夫がふざけて手伝うと言い出したらガチビンタしただろう(実際には冗談でもそんなこと言ってないので大丈夫)。自分でやるしかないと思った。

マッサージをすると黄色く薄く濁った液体が出てきて驚いた。「体が母乳を出す準備をしているので、まだ全然白くはないけど少しずつ変わっていくからね。これが出ないと困るのよ。」と説明を受けた。

「まだ赤ちゃんが飲みやすいといえるレベルには全然達してないので辛抱強く続けてください。体を温めてるときとかがいいからお風呂のときとかがちょうどいい。結構痛いのはわかってるから、けがをしないように加減をしながら少しずつ進めてくださいね。刺激が強すぎると早産につながることもやっぱりあるので。」と言われた。この日からお風呂で地道にやっていくことになった。

終わってから「今日って院内見学できますか?」と聞いて大丈夫だったので一通り入院する部屋を見せてもらった。2部屋分、家族の1名が追加で泊まれる広めの部屋があった。親とかが入院時に泊まり込みで手伝ったりするとき用の部屋だという。しかし「うちの院では感染予防のために今は旦那さんしか入室できないことになりました。」と言われた。「入院の時に手伝いに来られる親御さんが多いのは知っているのですが、年齢的にも感染時の重症化率が高いため受け入れることができなくなってしまったのです。」この時点で年末年始に話した親が来てくれる話が不可能な話になるのでは?と頭をよぎった。この話は義両親にも当然適応されるので、うちに帰ってすぐ夫にも説明した。

逆子と診断される

ある日のエコーで逆子だとわかった。「あー横向いてるなー。」と言われてエコーを見ると確かに頭の位置が脇腹のところにあった。この状態の逆子を横位(おうい)と呼ぶらしい。この時は頭が右側にあって、私の逆子を直すには赤ちゃんがお腹の中で時計回りに回って頭が下にくるように逆子体操する必要があると言われた。言われてみれば確かにおへその上より脇腹を蹴られる感触があったので、その時点で横向きだったんだろう。「1週間くらい体操してみて、来週確認のためにエコーを見てみましょう。それで治ることもあるから、まずは体操やってみましょうね。」と言われて、さっそく逆子体操を習った。

あとで調べたが私が習った逆子体操は『胸膝法(きょうしつほう)』と呼ばれるものだった。人によって治し方が違うそうなので、あくまでも私にしか当てはまらないと思ってほしい。寝る直前に15分間やって、寝る時は左を下にして横向きに寝るように指導された。寝てる間に寝がえりをうって違う方を向くのは仕方ないから、とにかく寝るときに左を下にすることを強調された。ひざが90度になってるかなど、習うときにいくつか注意を受けたが自分だけだと全部はわからないので夫に手伝ってもらった。

私の場合はこの1週間の体操であっさり逆子が治った。へその上あたりを蹴られる感触に気が付いたら変わっていたので安心した。「あ、もう逆子体操はやめてくださいね。これ以上赤ちゃんは回転する必要ないのでくるくる動き回られると困る。左を下に横向きに寝ることだけ続けてください。体操は余計です。」と体操することも止められた。

赤ちゃん用品を買いに行く

入院準備と赤ちゃん用品の準備を始めた。これまで役所からもらったパンフレットや母親学級でもらった試供品など、手元にいろんなものがあったが、いろいろありすぎて逆に混乱していた。夫も「これ本当に全部必要なの?」と言っていて、私にも正直わからなかった。ただ、病院側が用意してほしいと言ってるものは確実に必要だし、赤ちゃんの着替えやお風呂用品などは買いそろえるかレンタルにするかはさておき使うのは間違いないでしょうと思ったので、自分たちなりにいるものを念頭に置きつつ近所のベビー用品店に出かけた。

さすがに外出する人の全体数は体感として少なくなっていたが、赤ちゃん用品は必要なので若い夫婦はそれなりにいた。私たちと同じところを見てた夫婦の声が聞こえてきて性能とかブランドにこだわってる一方で、私たちは「高くない?」って話が多くて価値観の違いが如実に出ていた。「同じ性能なら安い方がいい。使う期間が短いものが多いし、あんまり高いともったいなさを感じる。」が私たちの意見で、いいものは確かにあったけど値段見ておよび腰だった。あと会社に子育てしている人が集まるslackチャンネルがあって「良かれと思って買ったのに、赤ちゃんの好みに合わなくて結局すぐ捨てた。」と、いくつかのグッズについて見聞きしてたので最初にいきなりお金をかけすぎると後がつらそうだと私も夫に伝えていた。そういう様子を店員さんがものすごく見てたらしく「同じ性能でも安い方がいいということでしたら、こちらなら1万円は安くなります。浮いた分、夏場の暑い日用にひんやりシート買う方がお得です。」と言って、買おうとしていた製品をわざわざひっこめて1万安いものを見繕ってきてくれた。こういう時の店員さんの引きは強い。

店員さんのアドバイスを受けつついくつか買ったが、1日で必要なもの全部は無理だった。買ってもいいけど値段が高すぎて、もうちょっと探した方がいいものを安く手に入れられそうな気がした。この日は一旦家に帰りベビー用品店においてた出産準備リストの無料パンフレットを持ち帰って、改めて作戦を練り直すことにした。

結果、ベビーベッドはレンタルにすることにした。ベッドは赤ちゃんによってはぐずりっぱなしで合わないから処分したいと思うケースがまぁまぁあるらしく、その割にものがでかいので処分に困るというのだ。しかし、このときはまだ赤ちゃんが産まれてもいないので、本当にぐずるのかもわからなかった。小さくて買いに行きやすいものは必要に応じて買うことにし、大きくてすぐ捨てたくなる割に処分に困りそうなものはレンタルにする方針で、夫とは話した。

親が関東に来られなくなる

緊急事態宣言が一部地域で出される直前くらいでニュースで見る話もあって、親も自分たちが出産の手伝いに行けない可能性を考えていた。このため今からでも里帰り出産を考えてはどうかと言われた。しかしイタリアで感染者が拡大した理由の1つに自覚症状がなかった若い人が地元に帰って感染を広げてしまったケースがあったので、「それはできない。私も症状がないだけで感染してない保証がない。地元でパンデミックを起こしたくない。」と断った。「新幹線に乗るための移動も考えないといけない。感染リスクを上げたくない。」と。とにかく今は大きな移動をしてはならない。海外のニュースかどうかじゃなくて、このウイルスは人種を問わず感染する。

その後、緊急事態宣言が出て、親に「この宣言が5/6まで続いたら、もうこっちに来てはいけないと思う。」とも伝えた。さすがにショックだったみたいで行くからと言ってた。「今すぐ決めようって話じゃなくて、心の準備として5/6で判断しようって話をしているんだ。5/6当日にいきなりやっぱり来ないでって言われても、それはそれで困るやろう。」と説得した。親は新幹線は使わずに自家用車で高速を使って何とか向かうつもりだと話していたが、この時ばかりは「その運転でさらに体力を消耗して感染しやすくなっても嫌だな。」と考えたりもした。まぁでももう手段については何も言わなかった。私もここまで状況が悪くなるとは思ってなかったし、無事産まれたとして孫に初めて会うのはいつになるんだろうかとも思った。会わせたくないわけじゃないのに。この時点でビデオ通話の手段を出産前までに用意することを決めた。

結局5/4で関東圏の緊急事態宣言は延長された。緊急事態宣言が解除された都道府県もあったが、解除されたからといって感染リスクが減ったわけではないからと人々の動きはstay homeのままのことが多いようだった。親に「延長されることになったから、私たちからお願いしたのに申し訳ないけど関東の方には来ないようにしてほしい。」と連絡した。本当にこんなことになると思ってなくて、安全のためとはいえ言っててつらいものがあった。

産休に入る

4月中旬で産休に入った。特に詰まることなく仕事も終わったのでよかった。

去年から「産休、育休中にやりたいこと」っていうリストを自分なりに作っていた。能天気なもので普段作らない料理作りたいなーとか、去年の年末に作ったじみこも産休の間に改造するためにベースは前もって作っておこうとか考えていた。じみこ*1は産休前にベース作っておいてやっぱり正解だったと思う。メルカリは産休に入って急に思いついて始めたものだったけど前からやってたノウハウをまじめにまとめる気になったし、いろいろとやりたいことを書き溜めておいてよかった。それでも時間ができたので復職はどんな風にしようかとかいろいろ考えていた。

同じようにリストを作る人はいるみたいで、大体考えることは同じなんだなと思った。

gyutte.jp

作ったリストの中に「行ったことないところに出かける」があったけど、情勢を考えるとあきらめるしかなかった。いずれにしても体がじわじわ重くなって歩くと息切れしやすくなっていたので遠出は無理だった。

入院準備の完了

入院、出産の準備は少しずつ進めていたが大体34週目に入るまでに完了させておくように言われていた。大体のものはそろったが、唯一そろえられなかったものがあった。赤ちゃん用ガーゼだ。マスクが品切れになって自分たちで布マスクを作ろうの流れが出てきたときに誰かが「赤ちゃん用ガーゼも布マスクに使えますよ。」と言ったらしい。結果、赤ちゃん用ガーゼが品切れになり、入院時点で必要なのに買えなくなった。さすがにこれに関しては頭にきた。お風呂用のガーゼを何とか見つけたので、それを代替で使えないか病院側に相談した。COVID-19でできなくなったこと困ったことがこんなに出てくるとは思ってなかった。

しかし義両親から夫に出産準備に要りそうなものを送りたいと連絡が入って「じゃあ赤ちゃん用ガーゼがまずほしい」とお願いしたら買ってきてもらえた。ものすごく助かった。実家の親からも後で連絡があったのだけど、すでに結構そろってしまった後だったので、新生児用おむつだけお願いした。

骨盤が痛くなり始める。妊娠線が見えないところにできているのを知る。

正確には骨盤というより恥骨のあたりが妊娠後期で痛くなってきた。赤ちゃんが頭で骨を押してる影響だと自分でわかった。一度逆子になったこともあり横向きで寝ることを続けていたが、本当にずっと横になっていていいんだろうかと考えてしまう。椅子にクッションを敷いて、なるべく無理のない姿勢を取るように努めるくらいしか思いつかなかった。医者にも相談したが「うーん、それは産まないと痛みがなくならないんだよね…。痛くない人は全然痛くないから、これも個人差なんだよ。腹帯して負荷を軽減するくらいしかないかなぁ。」と言われて、家ではしてなかった腹帯をすることにした。

またエコーを取るためにお腹を見せたときに「ああ、薄く妊娠線ができてるね。」と言われた。自分としては気を付けてクリームを塗ってたので大丈夫と思っていたが、自分からは見えないところに線ができていたらしい。体を起こして見ようとしたが、もうお腹の影の部分は自分で見ることがすっかり困難になっていた。足の爪も切るのが難しい。一度かがむと立ち上がるのにも一苦労だった。「もう見るのが大変だと思うから鏡で見て、ケアのためにクリームを塗ってほしい。」と言われ、家に帰ってから姿見の前でお腹を確認しながら保湿クリームを塗ることにした。

COVID-19の影響で病院でのチェックがどんどん厳しくなる

COVID-19の影響ですでに親の入院時面会は禁止だったが、加えて夫の入院時面会が禁止となった。また私が通えた母親学級も中止となり、入院する部屋の院内見学も中止になった。「一生に一度のことだからせめて立ち合い出産は守ろうと思っているけど、これも今後どうなるかわからない。うちでも感染者が出たらやむを得ず閉めるしかなくなってしまう。」と告げられた。

一番大きな理由は私が通っている病院以外の産婦人科が閉まるケースが出てきてしまったことだった。総合病院のような産婦人科以外の病棟もある病院が院内感染で受け入れられないケースが出ているため、通っている病院も院内感染を防ぐため可能な限り人を入れないようになった。「周囲の病院の対応次第で、私たちもどうするか考えないといけない。」このときはそれだけ言われた。まぁそれしか言えないよな。

外には鯉のぼりが昇って季節感を感じるなーとのんびり考えてたのに、病院に入るときも受付前に熱を計ってもらって平熱でないと入れないように、男性は診察を受けるわけじゃないからと付き添いで来ても病院外で待つことになった。

また以前申し込んだ陣痛タクシーがもしかすると使えなくなる可能性が出てきた。住んでる地域のほかのタクシー会社がやってる子ども送迎サービスなどが受付を中止すると掲示し始めていて、このまま配車がどんどん少なくなると私の出産のときにタクシーが来られないかもしれない。夫の実家が引っ越し先から20分程度で比較的近く車もあった(私の実家だと車で半日以上はかかる。)ので、もしもの時はと連絡しておくことにした。病院側にもタクシーの件は伝えたところ「陣痛が収まったから一度家に帰りましょうで何度も行ったり来たりするのが大変なのはわかってるから、分娩室でなるべく粘れるようにはする。」と言われた。こればかりは出産当日にならないとわからんなと思った。

幸いにして私自身とお腹の赤ちゃんはいたって健康だった。エコーで見るときも動き回って顔をしょっちゅう手で覆ったり、あくびらしい動きをしていた。動きすぎて「ちょっとじっとしてほしいくらいだな。」と笑いながら言われた。赤ちゃんの大きさも週数通りで問題ないし、私の体重も重すぎない。貧血の傾向もなく、前の検診で教わったおっぱいマッサージも続けていたので出産時には無事母乳を出せるのではないかと言ってもらった。とにかくできる限りの感染予防と食事バランスを取るしかなかった。

足が猛烈にむくむ。体重がここにきて急に増える。

臨月に入る直前のある日、右足の甲を見ると尋常じゃなく見たことがないほど足がむくんでいることに気が付いた。左と右で比べると、左足もむくんでいるが明らかに右足がパンパンだった。普通に生活する分には痛みもなかったので、これまで自分の足のふくらみをそんなに見てなかった。病院から渡されたパンフレットに足のむくみを解消するマッサージが載ってたのもあり、慌てて足のマッサージを始めた。それでも一度や二度マッサージをしたところでむくみが引くことはなかった。

あんまりむくみがひどいと妊娠高血圧症候群にもつながるみたいな話を聞いていたのでどうしようと思いながら妊婦検診に出かけて医者に相談しようと思った。のに、医者に相談するのをすっかり忘れて帰ってきたら、驚くほど足のむくみが引いていた。マッサージがんばるより歩くことの方がてきめんに効果があることに気づいた。でも不要不急の外出は避けたいので、家の中で歩き回るしかないのか?これが難しかった。ベタだが、マッサージする、家中をクイックルワイパーで拭く、頑張りすぎない程度にスクワットするようにした。

次の妊婦検診で質問したらやっぱり産まれるまではむくむものだと言われた。ただアドバイスとして「マッサージもいいけど、足をとにかく高いところに置くのが一番いいかな。ただイスに座ってると足がお腹より下に来るから、それで水が下にたまってしまう」と言われて、そりゃそうだと思い、なるべく床に座って足を伸ばして座ったり、イスに座るときも足側にもう一脚置いて足を乗せて低い位置にならないようにした。それでずいぶんと足のむくみが取れた。

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左がむくんでるとき、右がむくんでないとき。とはいっても右もまだむくんでいる。むくんでるときは足の甲の骨が手で触ってもわからなくなっていた。

またこのタイミングで体重が1週間で2kg増えてしまった。食べる量を増やしたわけでもなかったので、むくみと運動不足の両方を疑った。医者からも「うーん、ここは頑張ってほしい」と言われた。

エコーで見るとまだ頭の全体がきれいに確認できた。推定体重的にはもう産まれても大丈夫だが、赤ちゃんが十分に子宮口までおりてきてないため、母体側の準備を進める必要があると言われた。赤ちゃんが子宮口までおりてくると赤ちゃんの頭がエコーでは見えなくなってくるらしい。その時に赤ちゃんが下におりやすくなるスクワットを習ったので、運動不足解消もかねて安産用ストレッチと一緒に取り組むことにした。

出産予定日の1ヵ月前から妊婦検診は週1で行われる。その検診で子宮口の開き具合を確認されていたが、助成券が有効な妊婦検診の回数内で最大5mmほどだった。陣痛のような痛みは全くなくそのまま過ぎていった。赤ちゃんが子宮口におりてこれるようにいつもより多めにスクワットしていた。私の母は初産では10日ほど遅れたと聞いてたので、私もそのくらい遅れるかもしれなかった。しかし産院から「あんまり遅れすぎるのも母体に負担がかかってよくないので、出産予定日から1週間ほど経ったら風船で子宮口を開く器械を使って広げましょう」と言われた。

入院と出産後の流れの確認

入院するためにどんな流れで病院に電話、タクシーに電話するのかと出産後の入院中に医者に何の書類にサインしてもらう必要があるのかと何の書類を受け取る必要があるのかと、行政に何の手続きをいつまでにやらないといけないのかと、帰りのタクシーを呼ぶ方法とを一通り確認した。妊婦検診で病院に行ったときにちょうどいいタイミングで退院する妊婦さんが赤ちゃんを抱えて病院を出ようとしているところに遭遇したこともあって、タクシー使ってどうやって帰るのかも想像しやすくなった。産まれる時期にはすっかり暑くなってることも予想されたし、私が妊婦検診のために歩く道を赤ちゃん抱えて歩きたくなかった。

手続き系は会社からの書類も大事だが、前回の記事で紹介したたまひよのお金の本も活躍して、役場のホームページを参照するときにどんなキーワードで検索すればいいのかもわかったのが大きかった。やはり出産直前で見返すの大事。

特に調べておいてよかったのは出産手当金と出産一時金の違い。名前が似てるのでごっちゃになってしまってたが、一時金は病院に直接支払われるもので、それとは別に手当金も申請すれば出る。また子ども医療費補助を受けようと思うと出産後15日以内に子どもの健康保険証を手に入れたうえで役場に届け出なければならなかったことも調べておいてよかった。出産したら夫の扶養に子どもを付けるつもりだったので「出産したら私が入院中に是が非でも会社に連絡して子どもの保険証を手に入れてほしい。」と夫に言った。COVID-19の件もあってどのくらい手続きがスムーズに進むかわからないが、出さないともらえないことは確実なので急いでほしいとお願いした。保険証がすぐに手に入らなかったら役場に後追いで提出する旨を伝えることにした。

いよいよ産休中にやることがなくなってヒマになる

産休中にやりたかったことをたくさん書いてたはずなんだけど、だいたいのことはやってしまってついにヒマになった。好きな映画とかアニメとか観るものいいけど、ずっと観てるとそれはそれで疲れてしまう。子育て準備にしても、だいぶいろいろ調べてて次は困ったときに調べるくらいじゃないと逆に気疲れしそうだったし、家の掃除のためにクエン酸重曹であちこち磨いて回ったりもしたけど、そんな毎日汚さないからやることなくなった。フライパンの裏のこげをとるとかもやった。ストレッチとスクワットの時間延ばすのも限界があるし、ブログ記事も単なる趣味でそんなにネタないぜ?と困ってしまった。ずっと横になって寝てても、赤ちゃんがお腹の下の方におりてきてくれなさそうだし、仕方ないから窓の外見てぼーっとしてた。

緊急事態宣言が解除されたが

このタイミングで親を呼ぶべきか悩んだ。自粛はある程度やった方がいいことを理解しつつ、孫に会える機会を逃したくない気持ちもあった。

とはいえまずは母子ともに健康で退院できるように努めるのが先だった。

続き

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*1:過去記事その1その2参照

妊娠から出産後までやってきたこと: 妊娠中期からCOVID-19の影響が出始めるまで

前回は以下。

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ついに2020年になった。

引っ越し先の病院ではじめての妊婦検診

新しい病院は去年ネットで頑張って探した。土地勘がないのでいきなり歩いて見て回るわけにもいかず、Googleマップで家からの距離も見ながら分娩も可能な病院を探した。妊婦検診はできるけど分娩までできる病院というのは非常に限られることがわかって内心焦ったが、家から歩いて行ける距離のところに分娩まで可能な産婦人科の病院を運よく見つけて、そこに行くことにした。ちなみに前回書いた里帰り出産できる産院は一番近くても実家から車で30分はかかるところしかなかった。車で10分程度のところは妊婦検診までしかできないところだったので、なおのこと里帰り出産をあまり選びたくなかった。

ただ新しい病院はネットでの評判が結構悪くて実際に診察を受けるまでだいぶ不安だった。特に体重管理に関して非常にうるさいことが書かれていて、受付の人はいいけど医者は最悪とコケおろしているレビューが多数ついていた。でも私たちは車を持ってないから歩いて行ける病院が一番助かる。毎回電車かバスに乗らないと行けないような場所は選ばなかった。「車ほしいな。」って話を夫ともしたが仮に今車を持ったとしてもペーパーが長いのでかえって危険だった。

受付に行くと予約したのに予約がないみたいな話をされた。「えっ、そんなことある?」と思って電話した日と予約した日とを伝えなおして何とか初診に入れたけど、いきなり不穏な出だしだった。「なるほど、人によっては『地元の産婦人科があまり信用できないから助成券が使えなくなることがわかってても違う地域の産院に通いました』って言う人がいるのは、こういうのが積もり積もってるのかもな。」と急に思いもしたが、先ほども言った通り土地勘がないのにあちこちの産院に行けない。まぁまだ診察を受けたわけじゃないからと思い直して、待合室で名前が呼ばれるのを待った。

紹介状は受付に渡したので前回受けた診察や検査結果に目を通せるはずだが、受付の人と医者の会話が若干ミスコミュニケーション気味で、いざ診察が始まると「彼女、何の検査受けたの?HIV検査とかはもう終わってる?」「紹介状にはもう終わって陰性って書いてありますね。」と話してるんだけど、いやちゃんと見てくれとしか言いようがなかった。紹介状を直接医者に確認してもらうのが早かろう、なんで受付の人が読んでまた説明してるんや、紙面は医者向けに書かれてるんやろと会話を聞きながらやきもきした。ちなみにこのときは助産師さんと受付の人の区別がついてなかった。あとから考えると紹介状を読んでいたのは助産師さんだったかもしれない。だったら紹介状を読んで陰性だったか医者に話しつつ自分でも読んでたことの説明が付く。

週数的には人によっては胎動を感じる時期に入っていた。医者から「お腹の子が動くのわかりますか?」と聞かれたが「いえ、まだ何も」と答えた。「まぁもうちょっとしたらわかるようになりますよ。」と言われて、お腹の大きさがまだ目立たないけどもうそんなところまで来てたのかと思うなどした。

年末年始ではまだ目立ってなかったお腹も服を脱いだら少し出てきてるのがわかる状態にはなっていたのでエコーではもう女の子か男の子かわかるレベルだった。医者から「今知りたいですか?」と聞かれたとき「ジェンダーとセックスは違う。社会的な性は本人が大きくなって選ぶだろうけど生物学的な性は持って生まれるものだからそれはそれでしょ。」と元々思ってたので「今見てわかるなら知りたいです。」と答えた。「最近は本人が選ぶものだから先入観持ちたくないって主張の人もいるのでね。」と言われて、まぁわからんでもないけど赤ちゃんの名前決めるときに男の子でも女の子でも使える名前探すのも大変だし、着替えさせるとき見えるしなと思った。良かれと思って伝えたら親にキレられる医者も辛そう。エコーで局部がきれいに確認できたので、どっちかはすぐわかった。

「分娩はどこを希望していますか?」と聞かれて「一応ここを希望してます。」と伝えると「えっ、じゃあもう予約しなきゃ。部屋が空いてないと違う病院に行くしかなくなりますよ。」と慌てたように言われて、その場で即分娩予約。出産予定日あたりは空いてたから無事予約はできた。また「今回初診なので母親学級は受けてないですよね?じゃあ来週にちょうどあるので母親学級の予約取ってください。うちで分娩される方には必須で受けてもらうんです。」と言われてこれも予約した。結構バタついた。

終わってみると診察内容自体に変なところはなかったので、どちらかというと受付の人しっかりしてくれって気持ちになった。前評判と逆の状態。受付の人のしゃべり方がやわらかいのは感じたので、精神的にまいってる人からするとはっきりものをいう医者の方がつらいのかもしれないと何となく気が付いた。私としては事務作業で詰まる方がよほど嫌なのだが…。

ルナルナベビーに登録

夫から「男性側から見て妊娠に関する情報を集めるのが難しい。自分の体じゃないとどう調べていいのかがわからない。」と言われた。別に私も初産ではじめから情報を持ってるわけじゃないんだけどなと内心思ったけど、情報格差がどこでどう生まれるのか自分でもよくわからなかったので、じゃあ私が見てる情報を夫も定期的に見れる状況を作ればいいかと思った。

以前から使ってたルナルナから妊娠してルナルナベビーに切り替えていた。夫にシェアするサービスは有料だったけど、夫が「俺、何も知らない!」って本当に言い出す状況の方が端的に最悪だと思ったので、さっさと登録した。

モチベーションは夫に出産に関する情報をシェアすることだったが、出産するまで便利に使っていた。TODOリストがおおよその週数ごとに出てくれるので、今何をしておくといいかがわかるのが特に助かった。

はじめての母親学級でおっぱいマッサージを知る

どんなことをするのかチラシでおおよそ教えてもらってはいたが、まだいまいち想像がついてなかった。母親学級が設定されてる時間帯と通院の時間を考えると仕事やってる場合じゃなかったので、この日も有給をとった。子宮筋腫とか調べてくれた医者は優秀な人だったんだな、私の有給に気を回してくれるような人だったしとぼんやり考えながら、指定された場所に向かうと20人くらい妊婦さんがいた。実はもうちょっと早い週数で1回目の母親学級に行かないといけないことになっていたが、引っ越してきたばかりということで私はほかの人より遅れて母親学級に出席させてもらっていた。みんな私より出産予定日が1カ月ほど後の人ばかりだったと思う。お腹も出ている人がほとんどいなかった。とはいえ私も服を着てると見た目にはまだわからない状態ではあった。

この日の一番最初は院長の挨拶から始まった。そこで体重管理を厳しく言ってる理由が改めて説明された。小さな産婦人科なので総合病院ほどの設備はなく、体重管理がガバガバすぎて難産になったとき対応しきれない可能性が出てきてしまうのが大きな理由だった。「太ってても私は出産できたわと言う妊婦さんがたくさんいるのは知ってますが、医者が太りすぎることを肯定的に言ってほかの妊婦を難産にするのは違います。」という話をしてて、レビューに書かれてた意味がわかった。かなりはっきり話す人だったので、つわりの反動で食べ過ぎても責められたくない、寄り添ってほしいと思ってる妊婦さんにはつらいお医者さんだと納得し、ネットのレビューの件は忘れることにした。言い方があるだろとレビューでは言いたかったんだろうが、逆に言うと体重管理を怠らなければ怒られたりしなさそうだなとも思ったので、普通に健康的になるように過ごすのが一番だと思った。出産時点で普段の体重から最大で+8kgが目標で、まだ母親学級時点で2kgしか増えてなくて、私の場合はむしろ体重増えなくて困るのかなと想像していた。杞憂だったが。

その後、集まった妊婦さんたちでいくつかグループを作って、今どんな情報を集めてるかシェアしたり、知っておくべきことを講師の助産師さんから聞いたりした。つわりで苦しんだ人の方が多かったが、全然平気だった人もパラパラといて、案外つわりがない人は珍しくはないのだなと思っていた。

この日一番衝撃だったのはおっぱいマッサージだった。産後にスムーズに母乳が出るようにあらかじめ産前からマッサージをするというもので、妊娠初期はダメだが中期以降、医者からOKが出たら始めるものだった。説明を受けた内容は以下の記事とほぼ同じだった。

mamanoko.jp

布で作ったおっぱいの模型に対して「このように揉んでください。」と助産師さんが母親学級で説明するのだが、結構乳首を引っ張ったりひねったりしていて見てるだけで痛そうだった。動画を探してみたら以下の動画の2分くらいから始まるのがまさにそれ。

www.youtube.com

内容が内容なだけに、誰かに手伝ってもらうのは嫌だと思った。「お風呂入ってるときとか、体がそれなりにあったまってる時がいいですね。ただ、やりすぎると子宮が収縮して切迫早産につながる恐れがあるので、自分で加減しながらやってください。無理は禁物です。」と注意を受けた。母乳が出るようにマッサージするのに、やりすぎたら早産につながるって難しすぎるだろ…と思いながら聞いていた。聞いた初日は加減がわからなくて、記憶にとどめる程度になった。

ママ友をこのタイミングで増やすのもいいですよって講師役の助産師さんは言ってたが、そもそも私はこういう場で知り合いを作るのが苦手だ。1カ月出産予定日が違う人ばかりなのもあって産院でばったり会うこともなさそうだし、終わったらすぐ家に帰った。

出産育児に関する本を買う

たまひよを試しに買ってみることにした。親から「私は育児本を買って読んだことがなかったんだけど、地域でやってる育児クラスみたいなの受けたら、講師の先生に『意識低い』ってえらく怒られた。そんなことしなくても普通にあんた大人になったけどね。」って聞かされてて、まぁつわりがない時点でかなりラッキーだったし妊婦によって状況だいぶ違いそうだから、本に書いてることを真に受けてもいいことなさそうなのは感じてた。とはいえ、たとえば妊娠出産に関する助成金の話とかは親や子どもの性格とは関係がないし、お金はあって困ることはないので、その辺のことも調べるために1冊くらいは買ってみようと思ったのだった。

本屋に行くと毎月出版されてるたまひよとお金周りのことについて重点的に書いてるたまひよの特集号みたいなのの2冊があった。毎月の分は1回試しに読んで今後も必要だと思ったら買うので十分そうだったが、お金周りの特集号は今買っておいて損はしなさそうだったので結局両方買った。お金に関する本は以下。

買ったはいいが、制度がたくさんあって読むだけで結構疲れた。しかも全部は覚えられないほど情報量が多い。ここぞというところで役に立ちそうなんだが、期限があるもの以外は逆引き辞典のように使うのがよさそうだった。出産一時金のように病院に直接支払うのか、自分の銀行口座に振り込んでもらうのか選ぶものなど事前にある程度準備が必要なものだけピックアップして、後のことは頭がいっぱいになるので、少しの間忘れて出産が近くなってきたら読み直すことにした。

月刊で出てるたまひよは冬に出産する場合の話になってしまってて、買った当時の私にすぐ刺さる内容があまりなかった。里帰り出産するかどうかの話も事前に親と話してしまったし、まだ相談してなかったら意味あったかもと言ったところ。付録でついてた妊娠中のエクササイズとか出産間近でどんな体勢をとると楽かが載ってる冊子は出産まで使った。毎月少しずつ掲載されてる情報が違うので定期購読すれば刺さる情報も出てくるかもしれないが、試し読みとしては1月分で十分だなと思って次は買わないことにした。

会社でほかの同僚にも自分の妊娠と産休時期の告知

去年のうちはまず上司らに伝えて、年が明けてからほかの同僚にも伝えることになった。引継ぎ先も同僚に伝えて、まだ時間があるとは引継ぎをじわじわと進めていった。

保育園を探す

保育園の情報を年明けから集め始めた。毎年11月ごろに認可保育園への応募があり、そこに希望する順に20件近くの保育園を書くと噂では聞いていた。住んでる地域のホームページから認可保育園の情報を閲覧することができたが、PDFの中身が個人的にイケてなくてかゆいところに手が届かない感じがした。

「保育園の情報はもう仕入れておきたいんだけど、なんか見にくいんだよな。」と夫に話してたが、いまいちピンとこなかったみたいだったので「調べてくれる?」と言って任せることにした。調べ方がわからんとは言ってたが何もしないとは一言も言ってなかったので、自分でやったらわかるやろと。「ああ、じゃあ俺がやる。」と言ってあっさりとりかかってくれた。

夫が調べてる間、私は引っ越しとかの費用の持ち出し計算がまだ済んでなかったので総額いくらくらいになったっけとかまとめてた。予算はだいたい頭にあったけど結局いくらかかったのか出すのに日があいてしまっていた。レシートとかクレカ明細とかとにらめっこしてたら、そのうち夫が「できた!」と言って、まとめたシートを見せてくれた。

PDFから保育園名、住所、電話番号、保育園種別を全部抜き出してきて、かつ

it-soudan.com

ここに記載のAPIGoogle App Scriptで叩いて、家からの距離と駅からの距離を全部計算して出していた。いきなりの力作にビビった。「このAPI、どうやって調べたの?」って聞いたら「ん?会社で使った。」とケロッとした顔して言ってて、任せ方次第でめっちゃ刺さるやんと思った。やっぱり全部自分でやるのはやめた方がいい。別にそんなつもりなかったけど気が付くと自分が動いてる感じだったので、適宜これはやってって言うことにした。「保育園の評判なんて今わからないし、僕らは自転車も自動車もないから徒歩圏内がまず優先やろ。距離で絞って、そのあとどこがいいか選ぶ感じじゃないかな。」と夫は言って、ある程度絞られた中から各保育園のホームページとか見て回った。

だいたい自分たちによさそうな保育園候補が出たので、これでもって見学予約したいねと話した。

安産祈願に行く

本当は週数的に去年末あたりの戌の日がよかったのだが引っ越しなどいろんなイベントによるバタバタで、とてもじゃないが行けなかった。親から年末年始に「安産祈願に行く余裕がないなら、うちでお守りもらってくるから言ってね。」と言われていて、さすがに自分たちで行こうと夫に話したのだった。義両親は安産祈願に特別なこだわりはないとのことだったので、私と夫の二人でとりあえず行くことにした。引っ越してから比較的近所に安産祈願の神社があることを調べたので、予約の電話を入れて神社に向かった。

受付で腹帯などお祓いを受ける品を預けて、お祓いの時間まで待合室で待つように言われた。ちょっと早く来たせいで、はじめ誰もいなくて予約間違ったかなと思ったけどあとからどんどん人が増えてきた。結構おじいちゃんおばあちゃんと来てる人もいたので、こだわりないって言ってても呼んだらよかったかもしれんなと後で思ったりした。

時間がくるとお社に歩いて案内された。妊婦はみな謎の紙の飾りを首から垂らして、後ろから家族がついてくる感じだった。お社の中には椅子がたくさん並んでてお祓いを受ける妊婦が前の2列に座るんだが、小さい女の子がぐずってお母さんの隣に行きたいと言い出した。「ちょうど席が1個空いてるからどうぞ。」と神主さんが言って座ったらご機嫌。ほかにも小さい子はいたが、みんな静かでおりこうさんにしていた。お祓い自体は比較的手短だった。御祈祷の言葉にはわからない言葉もたくさんあったけど、他は割と普通の言葉で「おめでとうございます。」というお話をしていた。不思議なもので背中がしゃきっとした。

終わったら受付で預けた腹帯と安産祈願のお守りをもらってお社からは出た。帰りに安産祈願の絵馬を書いて、犬の銅像がある小さな丘に登ってお参りした。「あんまり信心深くないんだけども、おめでとうございますって言ってもらえる機会があった方がうれしいものなんだな。神社仏閣がなくならないのも何となくわかった。」と夫が言ってて同意した。神様が本当にいるかいないかじゃなくて、イベントがあることが大事だし、地域の人がそれなりに集まる機会があった方が助け合いする気になるわな、と思いながら帰路についた。

お家にもらった安産祈願のお守り飾ったら、ちょっとうれしくなった。

胎動を感じられるようになる

最初は気のせいかな?と思ったが、そのうち「ああ、これが赤ちゃんの動きか。」と気が付いた。安産祈願に行く直前くらいに数回あったがまだ動く回数は少なかったのもあり、胎動だという実感がなかった。だいたい20週付近でわかるらしいが、私の場合は23~24週くらいで実感がわいた。動きはじめ自体は20週だったんじゃないだろうか。気が付いてない時はご飯食べたから胃袋が動いてるのかなーとのんびり考えてた。

「お腹の赤ちゃんが動いたら、旦那さんにも触ってもらいましょう。」とルナルナベビーに書いてあったけど、動いてる瞬間に夫が触るのはまだこの時は難しくて「動いた!」とは言えるけど触るタイミングでは静かなことが多かった。「恥ずかしがり屋さんなんでしょう。」と話して、よく動いてるときに声をかけることにした。「お腹触るのが嫌な旦那っているのかな。」と夫が急に言ったので、「まぁ嫁のお腹にいるのが赤ちゃんとわかってても、動物とかが苦手な人だと動いてるの自体気持ち悪いって思っちゃう人はいるんじゃないかな。」と答えた。「動物苦手な人って、自分の予測がつかない動きをするものがいるだけでビビったりするし。赤ちゃんをそういう目で見て怖いと思う人は一定数いそうだけどね。」って言ったら「なるほど!」とずいぶん納得していた。「俺が触ったときに静かなのはなんでなんだろう。『知らないおっさんがいる!』ってなるんだろうか。」と言い出して笑ってしまった。それからはお腹を触って静かなときに「今触ったのお父さんやで。」って言うようになった。

またこの頃にはだいぶお腹も出てきていた。でも服を着ると全然目立たなくて、本当に個人差大きいなと思った。もともとゆったり目の服が好きで着ているから、お腹の大きさがきれいに隠れてしまうのもある。

COVID-19の影響が出始める

年末年始の時点ではまだ中国だけの話にとどまっていたが、2月の初旬にダイアモンドプリンセスが寄港してから一気に日本国内がざわついた。そこからしばらくして国内感染者が増えてきて2月の中旬からついにリモートワークが全日OKとなった。リモートワークがどうだったかの話はすでに書いたので以下の2つの記事を参考にしてほしい。このタイミングのリモートワークは私にとってはとてもラッキーだったことは、もう一度書いておく。

kimikimi714.hatenablog.com

kimikimi714.hatenablog.com

リモートワーク以外に影響が出たのは保育園の見学だった。保育園にまだ電話してなかったので保育園から断られたわけではなかったが、すぐに電話してたとしても行けたかどうか今思えば微妙だ。見学日は保育園側が指定することも結構あるらしいので、電話したらすぐ行けるようなものじゃないのだ。また出産後に役所に電話して公開保育という集団で保育園を見学させてもらえる会が今年開かれるのか確認したら、やはり見送られるとのことだった。一度くらい見学に行っておきたかったけれど、夫とも相談して断念した。

マスクとトイレットペーパーと米も店頭からなくなって、トイレットペーパーを試しにAmazonで探したら驚くほど高額な値段になってて買うのを断念した。しばらくAmazonのラインナップを観察して下がったタイミングで1個補充した。それでも届く日が間に合わず一度完全にペーパーが切れてしまったことがあって、仕方ないから近所のトイレのあるコンビニに行った。4月にはコンビニもトイレを開けてないところが増えてしまったので、これでも運がよかった。マスクは妊婦の免疫が落ちることから去年時点でそれなりに買ってた分があったので店頭から消えても困らなかったが、トイレットペーパーと米はまぁまぁ気を揉んだ。「オイルショックのような混乱が現実に訪れるなんて、人間そうそう変われないんだ。」と思うなどした。アルコール消毒液もないと報道されてたけど、家にあるハンドソープで十分だったのでそこも困らなかった。

ドイツに住んでる友人から「日本やばくない?」と他人事のようなメッセージがきたけど、しばらくしてイタリアの「パスタない」おじさんがTwitterに流れてきたりしたので「ヨーロッパこそそのうち大変になるんじゃないか?」とへらへら話してた。当時はお互いにもっと軽い気持ちだったと思うけど、まさかここまで広がるとは思ってなかった。ドイツもヨーロッパ諸国の中では比較的感染者数も死亡者数も少なめだったとはいえ一気に広がってハムスター買い*1が始まったりして、その友人からスーパーの様子を送ってもらったりした。「うちの会社もリモートが原則になったよ」と聞くまでにそんなに時間はかからなかった。今このツイート見ると割と笑えない。

twitter.com

始まったばかりのころはまだリモートワークは2週間くらいで終わるのかなとのんびり構えてたが、結局産休に入るまで続くことになった。今も勤め先のリモートワークは原則のままらしい。リモートをはじめてすぐのころ、今までリモートしたことなかった人が試しに1、2日やってみて、すぐ出社するようになったのも覚えている。まだそこまで強い政府からの要請はなく人々の警戒心も薄かったから、あくまでもリモートしてもいい、くらいの温度感だった。マスクしてない人も緊急事態宣言前後よりもっといたし、このタイミングで住宅ローン減税の初年度申請のために確定申告に出向いたりもしたけど、役場に人がたくさんいて3密って言葉がまだ使われてない時期だった。

ただ3月の3連休あたりはニュース見ながら「ああ、これはまずいことになるな。」と思ってた。2月中旬から始まったリモートワークが2週間程度で終わると考えてたわけだから、ほかの人も3連休で気持ちが緩んでいるのは見て取れた。スーパーに買い物に行くときも「外に出る人、前より増えたな。」と思ってたし。私は自分が妊婦なのもあってどうせ遠出できないと思っていたけども、妊娠してなかったらほかの人と同様に桜を見に行きたいと言い出してたかもしれない。一方で政府側の動きがじわじわ進んでいて、確定申告の締め切り日が3/16から4/16に延びたのもこのへんだったはず。この時点で何か一般人の動きと政府の考え方が違うことは気づいていて、長期戦になることを感じた。

母子ともに健康だけど、去年までのふわふわした感じから一気にウイルスの影響が強まって危機感が高まってきた。

続き

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*1:買いだめのこと。ドイツではハムスターが口の中にいっぱい食べ物をため込むのにたとえてハムスター買いと呼ぶらしい。

妊娠から出産後までやってきたこと: 準備から妊娠初期まで

人生でそう何度もないと思う機会なので、当時どうだったのか残すために妊娠生活から出産後までの話を書き残しておく。ちなみにこれを書いたのは産休に入ってすぐからだった。

結構長くなるので、妊娠初期の2019年までの話をここでは書く。

  • 妊娠前に風疹抗体検査を受ける
  • 妊娠前に妊娠できる体なのか検査しておく
  • 妊娠の確定
  • 住んでる地域の病院を探す
  • 会社に伝える
  • 引っ越しの準備をする
  • はじめての妊婦検診
  • インフルエンザ予防接種を受ける
  • 引っ越しと新しい妊婦検診助成券
  • 体がかゆい、胸が痛い、急激な眠気に襲われる
  • 里帰り出産するか相談する
  • マタニティ用品を買う
  • 2019年はこれで終わり
  • 続き
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子どもが産まれました

先月、子どもが産まれました。

はじめての子育てなので、てんやわんやでブログ書く暇などありませんでした。Twitterの方は時々つぶやいてましたが、空いた時間は体を休めること優先で、最近ようやく調子がつかめてきたところです。

子育ても体が本調子になるのもまだまだこれからですが、時間が見つけられたら記事を書く予定です。

今年書いたブログ記事数を見て思った働く時間のこと

特に意識していたわけではないが今年の記事数が去年、一昨年、さらにその前の2017年の記事数を超えていることに気が付いた。以下の画像だと2020年と2017年で同じ数になってるが、すでに予約投稿が控えていたので超えることはわかっていた。

f:id:kimikimi714:20200527231219p:plain

今月の記事数が多いのは単純に産休に入って家事とか運動とかやってても時間ができたので、空いた時間でやったことを記事にしていただけではある。ただ、この時間を産休前、正確には原則リモートワークが発令される前まではフルで仕事に回していたのかと思うと、本当にそんな時間の使い方でよかったのかなと思った。リモートワークが始まってからというもの、通勤電車に乗らなくてよくなったことが実に大きくて明らかに記事数が増えている。通勤で疲弊するところは大きいんだろう。体感的には通勤時間も含めて就労時間だ。

会社として生産性が大事なことはわかるし全社の生産性を評価したらオフィスに出勤する方がよいケースがあるのは理解してるんだが、緊急事態宣言の解除で「さっ、もうオフィス来れるよね?」ってほとんど脳死で選択しちゃうのは違う気がする。少なくとも通勤で疲弊するところは減らせた方が圧倒的に私としてはうれしい。リモートワークになったからといって生産性が著しく下がったともあまり思えない。

ameblo.jp

note.com

週一でリモート、オフィス退去、今年いっぱいはリモート原則など企業によってだいぶ対応が違っているが、来年の今ごろ、復職するときにどうなってるのか本当に気になる。今年中にCOVID-19の第二波、第三波が来る可能性ももちろんある。

toyokeizai.net

この記事を読むと、もし流行している国からの人の流入を絶対に止めると各国が決めると新しい鎖国の時代がやってくることになる。台湾は一時完全に上陸できないようにしてたけど、日本が同じことをできるかかなり微妙だと思う。そんな時、会社が取れる策ってリモートワークくらいしかなさそう。

私は少なくとも今年いっぱいは産休・育休を取るつもりで、保活も来年4月に向けてやっていくつもりだが、それまでに各社どうなっていくのか見守りたい。

スパムコメントの削除対応した

私のブログは昔スパムコメントが付けられたことがあったので、今はコメントを承認制にしている。

kimikimi714.hatenablog.com

承認してないコメントがあるかも?と過去にもらったコメントを改めて見直していた。そしたら昔の記事に承認待ちのスパムコメントが大量についてることに気が付いた。上記過去記事に書いたようなコメントがまだたくさん残ってたらしい。

英単語を見ても何のことかわかんなかったので「cialis スパム」で調べたら以下のような記事が見つかった。

internet.watch.impress.co.jp

なるほどなーと全削除。スパムコメントは20件くらいはあったけど、記事自体はそれ以上に投稿してるわけでコメントが表示されないのを見てスパム投稿業者が途中であきらめたっぽい。

承認制にしておいてよかった。

アニメ『妄想代理人』一気見した

今敏が原作の『妄想代理人』を観た。

あらすじ

月子は大人気キャラクター『マロミ』を作った、今売れっ子のデザイナー。しかし『マロミ』以降、次のキャラクターを生み出せずスランプに陥っていた。事務所のオーナーから再度プレッシャーをかけられて精神的につらくなっていたある日の夜、理由なく道の途中で急に不安に駆られて走り出し、勢い余ってこけてひざを擦りむいた。思わず涙を浮かべながらうずくまっていると金色のバットに金色のローラーブレードを履いた少年によって突然頭を殴られてしまう。そこから『少年バット』による無差別通り魔事件が連続して起こるようになるのだった。

感想

ホラーテイストなアニメ。まぁものすごく怖がらせるというよりはだんだん現実と虚構の境目がわからなくなっていく感じ。そういうのは今敏らしくて、今敏のほかの作品を知ってるとよりおもしろいかも。私はこれまでに『パーフェクト・ブルー』、『パプリカ』『東京ゴッドファーザーズ』の3作品を観たことがあって、この中でいうと『パプリカ』が近いかなぁ。

一応話自体はつながってるが、1話完結として観ても比較的問題なく観れる。個人的には第3話の『ダブルリップ』がよかった。解離性同一性障害を扱うのは『パーフェクト・ブルー』に近いなーと思いつつ、もう一人の人格が否定されたことで主人格に反撃を企てるところは実際にありそうでよかった。

映画だったら2時間程度なんだが、アニメで13話は若干中だるみ感があった。特に一度少年バットと思われる容疑者を逮捕してからがグズグズっとして、第8話の『明るい家族計画』から第10話の『マロミまどろみ』は冗長に思った。人によってはそれらのストーリーも箸休め的に楽しめるかもしれないが、私は一気見したのもあったので「これ関係なくね?」って気持ちがぬぐえなかった。

オチは人を選ぶかも。「おおーこういう終わり方なのかー」って納得できる人と「はぁ?」ってなる人など感想が極端に分かれそう。私は「すっきりはしないな」と思った。特に少年バットを追ってた2人の刑事のうちの1人、馬庭はかわいそうな終わり方だった。刑事たちが一番熱心だったのに一番救われないラストになっている。結局一番妄想に取りつかれていたってことか。

関連映画

もうちょっとサクッと今敏の世界に触れたいなら『パプリカ』のが手軽。シリーズアニメはやっぱ長い。

kimikimi714.hatenablog.com

もっとホラー要素強めでいきたければ『パーフェクト・ブルー』の方がいい。ただし凌辱シーンなども含まれるので苦手な人は気を付けたほうがいい。まぁまぁグロい。これはまた観たいなー。

現実と虚構がわからなくなっていく映画でいけば『インセプション』もよい。『妄想代理人』とはストーリーはだいぶ違うが、前提は結構近いと思う。

インセプション (字幕版)

インセプション (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video