前回の続き。
破水して入院
出産予定日を2日ほど過ぎた日に、昼寝してる途中で寝返りを打ったら急にお腹の中でパンと何かが割れる感触があった。全然痛みはなかったものの静かにチョロチョロと水が流れて、自分の力では止められず明らかに尿とは違った。慌ててトイレで色を確認してみると薄い乳白色だった。
早々に病院に電話して破水かもしれないことを伝えた。初回は勘違いのこともあるので少し様子を見て、何かおかしい感覚やどうしても水が止まらなければ晩御飯を食べたあと入院準備の道具を持って病院に来るように言われた。大体1時間くらい家で安静にしていた。水の流れが止まらなかったので再度病院に電話して入院することになった。人によっては破水と同時に出血することがあるらしく、出血が伴う場合は救急車を呼んでいい。私は本当に水だけで痛みはなかったので、前もって準備していた陣痛タクシーに電話して来てもらった。コロナ禍の中でも陣痛タクシーは何とか止まらずに済んだ。
夫もリモートワークだったので、破水したこととご飯を食べてから入院の話を家ですぐ伝えた。少し慌ててたがカレーうどんを作ってくれた。カレーの汁が服についたら面倒くさいことになるな、匂いも結構あるしと今さら思ったが、当時はそこまで気が回らなかった。おいしかったし満足してゆったりした気持ちで病院に向かった。コロナ禍で夫は病院まで行っても中には入れない。到着後は私一人で入院道具だけ持って病院前で別れた。
病院に到着するとさっそく検査をおこなった。助産師さんが確認して即「これは破水ですね。じゃあ分娩台近くのベッドに移りましょう。」と言われ、そこまで自分で歩いた。この時点でも特に痛みはなかった。午後6時ごろだったと思う。晩御飯はすでに食べているし、とりあえず横になっていた。もし陣痛が来なかったら次の日以降陣痛促進剤を使って陣痛を起こして出産すると話された。
9時過ぎから横向きで寝てると10分おきにお腹が張る感じがした。痛みはさほどないため陣痛なのかどうかがわからない。個人差が大きいらしく、何とも言えない。上を向くと痛みが和らぐので、ゆっくり上を向いた。横向きになれと助産師さんに言われていたため、やっていいことかもわからない。痛みがちょっとマシになったら、また横向きになったりした。10時くらいからいよいよ痛くなってきたが途中トイレに行くため目を覚ましベッドに戻って左を向いて寝るともう痛みは収まった。そのまま翌朝7時前まで眠ってしまった。
陣痛と出産
翌日、朝ごはんと昼ごはんは普通に食べられた。時々助産師さんに様子を見に来られるものの何事もなくトイレにも普通に行けた。しかし13:20ごろから陣痛らしき痛みを感じ始める。前の日の痛みの出方と似てたので、本格的に来た予感がした。そのうちだんだんと頻度と痛みが波のようにやってきて、聞いた通りの感じになる。
最初の陣痛は生理痛と似ており、息の吐き方を工夫すれば普通に過ごせる。10分おきなので、まだ比較的動ける。痛いがトイレに行くくらいは余裕。5分おきにくる陣痛もまだ生理痛レベル。元々の生理痛が重めだったこともあって痛いが耐えられる。ただし、このあたりからちょっと声をふぅーとかはぁーとか言わないと余計な力が入りそうになる。
メガネを床に落としたとき思わずナースコールしたが自分で拾うように言われた。考えてみれば一番頻度が近い陣痛で分娩室まで自力で歩くことになってたので、このくらい取れないとまずい。
1、2分間隔になると、もうしっかり声を出さないと耐えられなかった。最後の陣痛のときはあ゛ぁ゛ーと叫んでた。それでもお腹に力を入れると赤ちゃんが産道を通りにくくなると聞いていたので、なるべく力を抜くために違うところで力を出すイメージでいた。
助産師さんがお尻を押さえてくれたんだけど、私の場合は逆に辛かったのでやめてもらった。押さえててもらってたほうが赤ちゃんが変なタイミングで出ようとしなくなるのでよかったかもしれないが、ちょっとどっちがいいかわからない。背中をさすってもらうのもなぜかつらかった。多くの人は楽になるらしい。でも息の吐き方を声に出して言ってもらうのは助かった。
陣痛は陣痛室でおこなうが、頻度が高まってきたら助産師さんが「じゃあそろそろ旦那さん呼びますね」と夫に連絡してくれた。「動ける今のうちに分娩台に向かいましょうか」と言われ陣痛の少しの休憩時間に2、3mの距離を歩いて台によじ登る。あんだけ痛いのに、動けてしまうのが不思議だった。夫が来るまでの間は分娩台に横になっていた。横になったままタオルを握りしめて顔にかぶせながらお゛お゛ぉとかあ゛あ゛ぁとか出したことのない声で叫んでいた。その途中で夫が来て、来てくれたのは気配で察したけど挨拶どころの騒ぎではなかった。分娩台にあがったら「いきんでみていい」と言われたのでいきむ練習をした。
お腹に取り付けていた機械の針を助産師さんとお医者さんが見て、そのうち「今いきんで」とタイミングを教えてもらった。が、必死すぎてよく覚えてない。いわゆるラマーズ法のヒーヒーフーではなかった。いきんでる最中、助産師さんがお腹の上に乗りかかって押さえつけて赤ちゃんを外に出そうとしていたが、全然痛くない。おお、なんかすごいぞって思って見ていた。途中いきむタイミングを間違ったらしく早すぎとか叱られながらいきんでいた。
なかなかうまく出てきてくれなかったので、会陰切開と鉗子を使った吸出法を使うことになった。もうこの辺になると痛いが痛みをあまり感じない謎の境地だった。なんというか痛いことは痛いが、だからって動けないことはないし意識ははっきりしてるという。私は頭の中がいたって冷静だった。しばらくして「頭がもう出てるから」って声をかけられるけど実感がなくて「え、そうなの?」とぼんやりしながら覗き込む。確かに一瞬頭が見えて、もうここまで来てるのかと思った。早く出てこいって気持ちしかなかった。最後のいきみでズルンと出てきて、ちょっとしたら泣き声が聞こえた。私も感動で泣くかと思ったのに「ふー、やっと出たかー」くらいの感じだった。必死ではあるけど、どこかフワフワしてた。ここまでで約5時間の出産だった。初産だと平均10時間ほどかかるらしいので、超スピード出産だった。結構自分では声を上げてたつもりだったのに、その場にいた人全員から「びっくりするほど冷静だった」とも言われた。
夫、私とも産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこした。夫は確かにそばにいたが、いまいち印象が薄い。必死だったからだろうか。どっちが先に抱っこしたかで揉めるってレポ漫画も見たことがあったが、私からするともうどっちでもいいし、とにかく無事に産まれてくれって気持ちしかなかった。
出産後、元気に泣いてた赤ちゃんは割とすぐに泣き止んで寝始めた。大物だなぁと思いながら分娩台でしばらく休んでいた。なかなか最後で出てこれなかったのはへその緒が長くて足に巻き付いていたからだと聞かされた。巻き付いている場所が首ではなくてよかった。また出産時に一緒に出てきた胎盤と破水時の穴を見せてもらった。出産直前まで自分の内臓の一部としてお腹の中にあったものなのでだいぶグロいが、あとになってちょっとだけ写真がほしいと思った。自分の胎盤を見ることなどそんなないから。
深夜に転院
会陰切開の患部を縫うため尿道カテーテルが取り付けられ、しばらく縫い終わるのを待っていた。しかしその際に「あー思ったより裂けている」と聞かされた。会陰切開は裂け目が大きくなりすぎたりギザギザの裂け方にならないようにするためのものだが、私の傷口は子宮口の内側の通常より深いところまで裂けてしまっているとのことだった。糸で縫われたあと「場合によっては出血が止まらず、もしくは他の理由で転院の恐れがある」と夫も同席のもと聞かされた。とはいえコロナウイルスの関係で夫も長居できず、話だけ聞かされて後は帰ることになった。念のため、と貧血対策の点滴を打たれた。心電図もとってた。
縫合直後は大丈夫だったのだが麻酔が切れてしばらくすると激痛で入院予定の部屋に自分で行くことができなかった。はじめて痛くて震えた。自分の反応に自分でも大げさじゃないか?と思った。でもどうしようもなくて横向きになってうずくまってしまった。結局、何度か部屋に行こうとしたが無理だったのとどうにも痛みがおさまらなかったために総合病院に救急車で運ばれることになった。夫には病院から電話してもらって、転院先の病院で直接合流することになった。
救急車で運ばれるのもうまれてはじめてだった。救急車の中で何かいろいろ取り付けられた。ピッピッと心電図のモニターの音が聞こえてきた。意識はあるがしゃべることができない。結構ぼんやりしてた。そのうち「バイタルが下がってる。」って聞こえてきて、えっ何かヤバいのかなと思いはするけどしゃべれない。このときはどこの病院に連れて行かれるのかもよくわからないで、ただ運ばれた。
着いたら両腕に点滴がつけられていよいよ注射跡だらけになった。その状態で採血もされる。いろんなことを話しかけられるけど、いまいち覚えてない。着いてしばらく経つとしゃべれたけど、意識はぼんやりしたままなので問いかけに応答はしたけど何て返したかがわからない。CTで体内のどこに血溜まりができてるか見ると言われて造影剤を入れられた。造影剤使用のためサインしたけど、どんなことが書かれてたのかもはや覚えてない。その後、夫は病院に来てたらしいが手違いですぐに家に帰ってしまった。顔は見た気がするけどうろ覚えだ。
撮影が終わって病室に連れて行かれた。救急車用のベッドから病室のベッドに自分で移れるか聞かれたができなかったので抱えて移してもらった。そのまま気がつくと朝になっていた。
転院した先での生活
目が覚めると両腕に点滴を打つ用の針が刺さったままだった。左側は点滴で薬が流し込まれて右側は点滴袋は外れてた気がする。知らない天井を見て、ここはどこだろうとようやく思った。病院の名前もわからなかった。しばらくすると看護師さんが来て尿道カテーテルの先に溜まった袋を交換してくれた。尿道カテーテルもつけたままだったことに気づいてなかった。
患部はやはり痛かった。出産後、尾てい骨が痛いと感じていたので寝てるのも割とつらい。でも産後直後よりマシだった。横向きになるには少しだけ腕に力をいれないといけなくて、両腕の点滴を打った状態だと力を入れすぎると逆流する恐れから難しいなと思いながら何とかちょっと横を向いた。実際に手首につけられた点滴の管を見ると少し血が逆流していた。薬を流し込んでない間はそういうこともある。ベッドにリモコンがついてたので、後でボタンを操作して体を起こした。
朝ごはんが自分の席に届いて、痛み止めの薬が処方された。そこで再び看護師さんがやってきて診察するから後で支えるから一緒に行こうと言われた。また両腕に注射針が刺さったままだったので、足の甲から採血されたりと満身創痍だった。腕も手首、手の甲、ひじの裏と何本注射を打たれたかわからない。
食べ終わったあと何とか体を起こして点滴袋のついた棒をカラカラ押しながら診察室に向かった。小児喘息で入院して点滴したとき以来だった。股がとにかく痛いので自然とペンギンのような歩き方になった。診察室に向かう途中で、いくつか何がどこにあるのか教えてもらいつつ「すみません。ここはどこですか?」と質問した。そんな質問をすることになると思ってなかった。
診察室に入って患部を診てもらうとお医者さんと看護師さんの両方ともが顔をしかめていた。またCTの結果、血腫という血の塊ができていることも教えてもらった。血腫はあんまり大きくなると周りの毛細血管を圧迫して血が通わなくなり貧血になったり破裂したり危険な状態になることがあると言われた。たいていはかさぶたのように自然となくなるので、ひとまず様子を見ることになった。血腫の圧迫でしばらく痛みは続くだろうことも言われた。
その後、シャワーの浴び方なども教わった。出産後次の日にはシャワー浴びていいことに驚いたが、ちょっと体が気持ち悪く感じていたのと何となく痛みはすぐになくならないことはわかっていたのでシャワーの浴び方に慣れる必要があった。
「まだ点滴の器具を取り付けたままなのでシャワーを浴びる際は袋をかぶせてもらってください」
と言われた。とはいえこの日はシャワーは浴びず看護師さんが拭いてくれることになった。体がうまく動かせない人が看護師さんに体を拭いてもらうのは映画やドラマでなら見たことがあったけど、自分が拭いてもらうことになるとは思わなかった。もう少し抵抗感あるかと思ったが自分で動けないんじゃどうしようもなかったし、むしろ助かったと思った。
病室に戻るときにスポイトのような注射器を渡されて、同時に母乳をそれでとっておく方法を教わった。子どものいる病院にはもしかすると1週間くらい戻れないかもしれないと言われてとても焦った。ここでとっておいた母乳はあとで子どもに飲ませることができると言われたので必死に絞った。今思うと子どもに飲ませるための母乳を絞るのも当然はじめてなのに、全く躊躇がなかった。母性とか母親の自覚とかそういうのはいつ沸くんだろうかと出産前は思ってたけど、そんなことより「これを飲ませなければ子どもが死ぬ」と考えてた。また完全回復してなかろうと早く戻らなければならないと思った。
最初の診察の翌日、だいぶマシにはなっていたが円座でないと座るのは厳しかった。昨日と同じ時間に診察と言われ、再び診察室に向かったが歩くときにペンギン歩きにならないように気を遣った。普通に歩けるように早くなりたかったからだった。
診察室で患部を再び見てもらったところ腫れがだいぶ引いてたらしく特に看護師さんが
「よかったわぁ。昨日もあなたの診察のときに私いたんだけど、本当にひどい腫れだったから。」
と言った。
「私は患部を見れないのでわからないんですが…。」
「見ない方がいいわよ。」
そんなにか、と思って気になるけど見ないことにした。頑張れば鏡とかで見れたろうが見てもなんの得もない。
シャワーの前に点滴針のついた腕をビニール袋で巻いてもらう際、座っていいですよと言われたけど立ってたほうが楽なのでこのままでと言って巻いてもらった。シャワーは痛くなかったが片手で対応しないといけなかったので難しかった。
退院まで1週間かかると言われたことがまだ頭に残っていて、すごく焦っていた。また夫から家族へも連絡がいってるはずだが、心配をあまりかけすぎないようにしたいとも思っていた。とはいえ、当時の状況を知る人にやたら連絡してしまうと何で安静にしないんだとも言われそう。それで地元の友人にすきを見て連絡して、赤ちゃんも元気なことを伝えて一旦自分の気持ちを落ち着かせることにした。
元の産院に戻る
さらに次の日の診察には初日、二日目とは違う人が担当医師としてやってきた。
「今日もし患部の腫れがだいぶひいてたら元の産院に帰りましょう。子どもさんもいるし早く帰りたいですよね?」
1週間と聞いていたのに思ったより早く帰れそうだった。即答してその日の診察で問題なければ昼過ぎに元の産院に帰れることになった。その際には夫が一度今いる病院まで迎えに来てもらって産院に戻ることになったので、夫にも連絡した。
「元の産院の受け入れ態勢が整ってるかはわからないので、こちらから連絡しておきます。準備が整っていたら戻る準備をしてください。」
そういう話が出ると急に余裕が出てきた。入院していた部屋は他にも入院患者がいて、みな妊婦さんだった。入院中ヒマだからかNintendo Switchを持ってきてる人もいたし、隣は双子を身ごもっていて陣痛が来るのをひたすら待ってる様子だった。周りにどんな人がいるのかに気を払ったのはこのときだけだった。
緊急転院で行った先の病院での診察で問題ないと言われて、元の産院も受け入れOKとのことだったので早速準備した。といっても転院した先で自分の荷物を全部広げるなんてことはしてなかったわけで、ちょっと片付ければあとは円座で待つだけとなった。
夫から病院の待合スペースに着いたと連絡があったので向かうと総合病院というだけあってとても広い大きな待合スペースに出た。空港のチケット見せるところみたいな受付もあって、ずいぶん大事になったんだなと実感した。入院費も自動精算機がおいてあって、そこで支払いになった。
夫はここまでバスで来たらしいが、とてもバスに揺られて行けるお尻の状況じゃなかった。高くつくがタクシーに乗って産院まで直接向かってもらった。タクシーの中で救急車で運び込まれたときや入院中どうだったかしゃべてたと思うが、今思うと落ち着きがなかった。
はじめて赤ちゃんと二人で過ごす生活と退院
元の産院に戻ったら院長先生と会って
「いやーおかえりー!どうなることかと思ったよー。」
と言われた。確かにどうなることかと私も思ったので、ちょっと安心した。でもまだ患部は痛いので、お尻を微妙に浮かしながらでないと座るのも難しかった。
病院に着いてすぐ授乳室に通された。前に絞っておいた母乳を助産師さんに渡して赤ちゃんが飲めるようにしてもらった。ほかのママさんたちも授乳していて赤ちゃんは習ったわけでもないのにごくごく飲んでいた。私もそこで飲ませ方を習った。当然はじめてなわけで赤ちゃんの頭の支え方、体の持ち方を教わってもすぐにはうまくいかなかった。周りが経産婦*1さんばかりだったので、自分だけうまくいかないことに若干焦る。あとブラジャーに母乳が染み出してしまっていて慌てて試供品でもらっていた母乳パッドを挟んだ。
「どのくらい出やすいかはその時にならないとわからないからね。」
と助産師さんには言われた。よくあることらしい。でもまだ量がたくさん出るわけではなかったので、母乳を20分ほど上げた後はミルクを追加した。前の病院から持ってきた母乳もミルクに混ぜておいて飲ませ切った。
「あなたの子はものすごくよく飲むよ。」
と言われ出産日からミルクを飲ませた履歴を見せてもらった。私が入院している間にこれだけやってもらっていたのかと思って見ていた。おむつの替え方もその場で習って、以降は基本的に全部私がやることとなった。
夕方ごろ入院部屋に赤ちゃんを乗せた小さめのベッドと一緒に入って、ようやくはじめて二人で過ごす時間ができた。もっと泣くかと思っていたが思っていたよりは泣かない。何なら寝すぎて全然目を覚まさないので、私が長くても3時間おきくらいでおむつ替えで起こして授乳させるくらいだった。このとき本当は粉ミルクも飲ませるべきだったが、助産師さんの説明をいまいち理解できてなくて母乳だけ飲ませて赤ちゃんが安心して寝たらそれでいいと思い込んでいた。当時の私の母乳の量はまだ少なかったので母乳だけだと体重が平均より増えてなかった。結果、退院当日は退院できるぎりぎりの体重になってしまった。これは本当に申し訳なかった。ものすごくよく飲むと伝えられてた子だったので、助産師さんが作ってくれたミルクを寝そうになっても無理やり飲ませるくらいでちょうどよかったのだった。
赤ちゃんがいる部屋でのご飯は難しかった。ご飯を食べるときに限って泣くので何とかあやしたり母乳を飲ませたりするが、うまく泣き止んでくれずご飯を食べることができなかった。すると病院食を作ってくれるスタッフのシフトを超えるとかで早く食べるように連絡がくる。泣き止まないので困ってることを伝えると
「じゃあもう泣かせたまま食べましょう。」
と言われた。ああ、これは別に病院だけの話じゃなくて、家に帰ってからも泣かせたまま食べることがあるんだろうなと思った。むしろ自分でご飯を作らなくていい今のうちにそういう環境でも図太くご飯食べるくらい練習しておかないといけないとわかった。抱っこしたまま食べようかと思ったりもしたが、まだ抱っこにも慣れてないので食べながら抱っこはかえって危険だった。まぁでもこの産院の病院食はめちゃくちゃおいしかったので赤ちゃんが泣いてても「ごめん!これがあなたの栄養にもなるから今食べないと損なの!」と言ってもりもり食べてた。
出産当日の夜だけは赤ちゃんを助産師さんが引き取って面倒を見て、翌日の夜から私と赤ちゃんで夜を過ごすことになっていた。また沐浴指導や粉ミルク作成の方法、新生児検診、産後検診もあるので元の産院には4日ほど入院していた。その4日間は本当にあっという間過ぎて気が付くと退院の日になっていた。
妊婦検診では重度の貧血のため1カ月処方された錠剤をのみ続けること、定期的に点滴を打ちに来ること、赤ちゃんの体重が思ったより増えてなかったので体重を計りにくることが退院時に言われたことだった。赤ちゃんを抱えたまま歩いて産院まで通える気がしなかったので、しばらくタクシーで通うしかなかった。だが、何とか退院はできた。
産後の方が個人的にはしんどかった
出産までは結構スムーズだったので、個人的には産後に転院や貧血、赤ちゃんの低体重で困るとは思ってなかった。いかにもここからが本当の本番といった感じになった。
妊娠から出産後までやってきたことで書こうと思ってたことは次で終わり。もちろん生活は続くのでブログ記事のように終わりはないが、記事としては一旦ここで閉めようと思う。
*1:2人目以降を出産した人